浮かれ電飾

ここ数日で、急に寒くなった。朝も夜も、きーんと冷たい。実に12月らしいと思う。

12月になると、いわゆる“浮かれ電飾”を見かけるようになる。暗くなってからの帰宅がほとんどで、通勤時間も50分近いから、実に様々な飾り付けを見ることができる。一時期に比べたら減ったし、見物人が集まるほどに大規模な家も無くなってきたけれど、でも発光ダイオード自体が手頃になった影響もあって、例えば幼い子供のいる家などは、それなりに楽しんでいるようだ。昔でいうところの“ニュータウン”っぽい住宅地に多い気がする。

 

昨日からだったと思う。この電飾が光りはじめた家がある。発光ダイオードの灯りはほどほど、どちらかといえば内部に光源を仕込んだオブジェ(置き物?)を展示のメインにしている。
この置き物は、ほとんどがクリスマスにちなんだもの。
静岡県はその厳しい気候風土から、信心深い人が多いことが知られている。神様や聖人は、宗教を問わず信仰の対象にする。キリストの誕生日もまた、例外ではない。
だから聖ニコラス氏の置き物が置かれていても、特段に不思議は無いのかもしれない。

しかし僕は思うのだ。ちょっと早すぎやしないか。デパートの飾り付けじゃあるまいし、まだ12月の2日だというのに、「煙突に入り込もうとする際に、ちょっと後ろを振り向いたコミカルなサンタクロース」の像を屋根に掲げるのは、いかにも早い。師走の気忙しさの半分くらいは、こういった家庭や個々人の先走りから醸成されているように思える。

 

今まで見たなかでいちばん印象的だった電飾は、点滅する「LOHAS」の5文字だろう。静岡市清水区の山里で、ぴかぴか光っていた。たぶん5年以上前の、電飾といえば青色LEDだった頃の話。昼間に確認したところ、普通の民家だった。
今だったら、写真に撮ってTwitterFacebookにアップロードしている。最近は飾りそのものを止めてしまったようだ。
なんというか、“LOHAS”という当時の流行り言葉から連想させられる、ちょっと微苦笑を誘う雰囲気を体現した、なかなか面白い電飾だったと思う。ブラック・ジョークの趣もある。電気の使い途としては悪くない。

 

僕が“浮かれ電飾”を行うとしたら、どんなデザインにするだろうか。
例えば「猿から人へ」などはどうだろう。猿、猿人、原人、原始人、そして現代人の輪郭を横向きに並べ、順番に光らせる。まるで、一歩歩くごとに、背筋が伸び、直立二足歩行を行い、手に持った道具が進歩していくように見える。そういう絵を教科書で見たことがある。
同じく科学シリーズとして、“二重らせん”も格好良いと思う。きちんと4種類の塩基を4色の発光ダイオードで表現する。今の発光ダイオードなら、わりと簡単に作れそうだ。

これらのデザインアイデアの問題点として、あまり浮かれているように見えないこと、そして12月とクリスマスには全く関係ないことが挙げられるだろう。信心深い地元民に焼き討ちにあう可能性も忘れてはならない(しかし静岡県民は、基本的にはおとなしく、刺激しない限り危険は少ない)。だからディズニーと組み合わせて、あるいは「絆」とか「感謝」といった素敵なコトバを添える必要がある。

元ネタ不明の光る聖堂のようなミレナリオまたはルミナリエ的な、あるいはイッツ・ア・スモール・ワールドを輝かせたようにも見える中途半端な規模の電飾を「光のシンフォニー」と名づけて駅前の広場に設置する我が愛すべき地方自治体は、実に税金の使い途を心得ていると思う。こういう事を延々と書き綴っていると、「理系馬鹿の嫌味」感が強まっていくばかりだから、この辺りで止める。

しかしどうして、電飾なんだろう。「クリスマスツリーの延長」と何かで読んだが、それならば脱脂綿でも良いじゃないか。特に雪の降らない静岡県中部にはうってつけだと思う。宗教色も薄れるし、綿ならば回収して来年も使える。電気は普通、使ったら戻ってこない。税金を使いたいのならば、せめてシュトーレンにすべきだ。