略す文化(略文)

 今の職場、どういうわけか略語や略称が多い。専務は「専」あるいは「セ」で、社内食堂は「SS」で、業績が下がった場合は「績↓」で済ませる。メールでも掲示物でも、みんな略す。もちろん部長は「部」であり、例えば「カトウ部長」という人がいたら、「カトウ部」と書く。もちろん会話でも「カトウブ」と言う。正確には「カトゥーヴ」と発音する。「カ部」と書いても大丈夫。というか、略さずに書くと、修正または指摘される。

 仕事にはだいぶ慣れたが、この社内文化に馴染むのには時間がかかりそう。確か村上龍の小説に、略語ばかり使っていると本質を見誤ると書かれていた。僕もおおむねその意見には賛成で、略してしまうことで失ってしまう情報や概念はそれなりに存在すると思っている。何よりも、わかりにくいと思う。プレゼンテーションやメールなど、文字数をケチる理由が無いと思う。

 硫酸のことを「S酸:エスさん」って呼ぶのは、本当にどうかしている。今は純朴な新人のふりをして、頑なに「はい、硫酸ですね」と答えているし、ラベルには化学式を書く。硝酸と間違えそうで怖い(ちなみに硝酸はN酸:エヌさん)。

 

 今日は「中途採用者として、この職場に来てから『これはおかしい』と感じたことがあったら忌憚無く言って欲しい」と上司に言われたので、この件を伝えてみた。「ええっ。じゃあ他の会社では違うのか?わざわざ『備品庫』とか『課長代理』とか『交通安全運動』とか、長ったらしく書くのか」と驚かれてしまった。

 実のところ、半角カナの多用とか、昼休みに堂々と働く事とか、言いたい事は沢山あるのだけれど、それらは(この、何でも略す習慣も含めて)常日頃から指摘されているらしい。特に研究職の人や、大学から一時的に来ている人も多く、彼らからは正式な要望書も出されているそうだ。
 でもなあ、と僕は思う。こういう社内文化、特に金銭に直接関わらない習慣的なものって、なかなか直らないものなのだ。「忌憚無く聞こう!」と言う人がいても、「なるほど、じゃあ検討してみよう」とまではいかない。なにしろ文化なのだ。
 いつまで経っても、この職場では、「プラチナ」は「プラ」のままだと思う(廃棄物としてのプラスチックごみは廃P)
。絶望とまではいかないけれど、でも「じゃあ自分が改革してやるぜ」とは思えないのが、現状である。

 

 

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