静岡のさわやか

静岡県以外では珍しいハンバーグ店、「さわやか」にて友人と食事をすることになった。
この種のレストランに行く機会は少ないから、ちょっと楽しみ。

 

静岡ローカルだからといって、特別な何かがある訳ではない。インターネット上では「品質を保つために“あえて”全国進出はしない」などと書かれていたけれど、それはちょっと言い過ぎではないか、と僕は思う。ずいぶん前に行った時の印象としては、ハンバーグを主にした、普通のファミリー・レストランだった。ランチメニューがとても安かった記憶がある。

 

この「さわやか」、なぜか若い知人達から頻繁に勧められる。
「ぜひ行け、行ったならば『玉ねぎソース』を試せ」と、実に多くの人から言われてきた。玉ねぎソースを勧めるのは女性が圧倒的に多い。年寄りや同年代の男性は、「さわやか」に対して(そして玉ねぎソースに対しても)、特別これといった意見は無いように見える。
もっと言うと、親友や友人ではなくて、知人あるいは友人の友人くらいの間柄の人達が、頻繁に勧めてくる。

今朝も、たまたま別件で送ったメールに「『さわやか』に行くことになった」と書き添えたところ、即座に「和風玉ねぎソースをチョイスせよ」との返信が届いた。メールの相手は、それほど親しくはない人(友人の妹)。

どうしてこんなに玉ねぎソースの人気が高いのだろう。
僕としては、他人に特定のハンバーグ・ソースを勧めるという行為自体、ちょっと「パーソナルな部分に踏み込み過ぎ」な印象がある。プレゼントに書籍を選ぶくらいに抵抗がある、と言うと言い過ぎか。諺でいうように「皿の上は個人の書斎」だと思う。

さらに不思議なことに、ほとんどの「『さわやか:玉ねぎソース』を勧める人」は「カトウさんなら(めっちゃ)気に入る」と自信を持って言うのだ。自分が何を好きなのかも僕ははっきりわからないのに、皆にはわかる。これはなかなか妙な気分である。

 

もしかすると、と僕は想像する。
郷土愛や仲間意識の発露として(特に静岡在住の若き女性の間では)、「さわやか」の玉ねぎソースを前面に押し出していくことが常識なのかもしれない。理由はわからないけれど、とにかくそういう“何か”が、「さわやか」の玉ねぎソースに対する彼女らの言説には含まれているように思える。田舎には本当に様々な、理由のわからない不文律があるのだ。加えて、僕は若者文化や常識に疎い。

さらに想像を進める。
僕が全く「さわやか」に行かないこと、玉ねぎソースに対しての反応が薄いこと、それらは知らず知らずのうちに僕の評価を下げているだろう。「傷つけている」とまではいかないにしろ、そうやって細かい不満が積み重なって、現在の「カトウは同胞愛に欠けるノリの悪いメガネの個人主義者だ」という評価が生まれている可能性は高い。
そういえば、何度か「どうして『さわやか』に行かないのか?」と聞かれた事がある。問われても上手く答えられなかった。特別な悪印象があるわけではないが、たまたま普段の選択肢に入っていない、それだけだと思う。それにハンバーグなら家でも作れる。

しかし僕ももうおっさんなので、歳の離れた(それほど親しくない)異性に少々がっかりされても、全然気にしない。こうやって色々と想像はするし、出来ることなら心地良い言葉のやりとりをしたいけれど、一方でハンバーグ・ソースくらいは自分で選びたいとも思う。あと10年もすれば、このブログも「頑固ジジイt_katoの独り言」となっている可能性も高い。
でも考えてみたら、20代の時だって、他人に勧められるままに、わざわざその店に行って、推奨されたハンバーグ・ソースを選ぶような、そういう性向は無かった気がする。
信頼のおける特定の友人の「おすすめ」には、すぐさま反応してしまうのだけれど、それはまた別の話。

なんだか自分語りになってしまった。
要は、「知人に勧められた程度ではなかなか行く機会を作れない店」それが僕にとっての「さわやか」なのだ。理由は特に無い。
それと「玉ねぎソースは得体が知れない」。

 

でもまあ、そんなに言うのなら試してみたい。玉ねぎソース、どんな味なのか。
約束の時刻まではまだ2時間ほどある。
素晴らしい味だったら、明日の日記に書くかもしれない。

 

 

 

 静岡のガイドとしては、ガイドブックではないけれどこの本が素晴らしい。写真が良いし、文章の視点が面白い。

静岡百景

静岡百景

 

 

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