ベジタリアン・カレーとガトーショコラとカーディガン

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友人夫婦に誘われ、新しくできたカレー屋に行った。
市内の山奥に、カフェや自然食レストランがいくつか集まったところがあって、そこに新規出店したという。

できたばかりで慣れていないのか、わりと長い時間待たされた。
加えて、店主の知り合いらしき人達が店の中を歩きまわっていて、それもちょっと気になる。
有機野菜を店頭で売っていた人達の声も大きい。オーガニックで天然生活な人々というのは、特に飲食店において声が大きくなる傾向がある、そんな気がする。

それら諸々を別にして、カレーはなかなか美味しかった。
ソイミートとトマトを使った、ドライカレー。本物の肉だったら、ちょっとしつこくなっていたかもしれない。この味は(ソイミートは買わないけれど)真似したい、と思った。

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食べながら友人達と話す。話題は店内に沢山あったパンフレットについて。
「実のところ、『有機農法や“自然養鶏”こそが、命を感じる“本物の”食べ物』」と言い切ってしまうのは、生命と食生活に対する冒涜ではないだろうか?」みたいな話をする。野菜工場の作物だって、食べ物としては本物だろう。問題は多様性にある、と僕は思っている。

しかしこの会話は、自然食カレー屋においては話題としてふさわしくなかったらしい。隣の席の老人達(ヒッピーとカントリーミュージシャンの中間みたいな服装)が「生命の重みがわからない若者達に食べられるカレーが可哀想だ。どうせカップ麺で舌が麻痺しているのだろう」といった趣旨の独白を始めてしまって、なんというか場違いなところに来てしまったと、少し後悔した。雰囲気を壊してしまい、申し訳なく思う。
カップ麺(5年以上食べていない)や、生命の重み(魂の事だろうか、魂は食べたことがない)はともかくとして、こういう素朴さを売りにしている飲食店の食べ物は、わりと好きだ。大抵は丁寧に作られていて、それだけでも素晴らしい。しかし疑似科学と妙な思い入れが強いところは困ってしまう。酵素ジュースやマイナスイオンといった言葉を聞かずに、ただ美味しく無国籍風カレーを食べることは、特に田舎においては難しい。

 

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友人を駅に送ってから、静岡市のカフェ「つきさむ」に行く。
コーヒーとガトーショコラを注文し、おやつにする。この店は食べ物も美味しいけれど、押し付けがましくないところが素晴らしい。心静かに時間を過ごせる。

メモ帳にいくつかスケッチを描き、スマートフォンにアイデアをまとめた。読書も少し進めた。

 

友人夫婦からは、麻混のカーディガンを貰った。友人の友人(服屋)から、染色ミスの品が回ってきたという。サイズの関係で、僕が貰えることになった。染色ミスといっても単品では特に気になるものでもない。売り物にはならなかったので、タグが切り取られていた。
特段の理由もなく、先ほど手押し洗いした。今は干している。薄手で、これからの季節に良さそうだ。

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