ナッツクランチ・チョコレートの夜に。

人参をスライサーで切っている時に、指先をざっくりと(略)。
あまりに痛々しいので、描写は略してみた。でも血はすぐに止まり、お弁当のおかずが1品減るだけの被害で済んだ。明日には生活に支障が無いくらいに傷の痛みも治まるだろう。
しかし久しく忘れていた、スライサーへの恐怖心が蘇って、意識に張り付いてしまった。これから先、どうすれば良いのだろう。恐怖を克服した先に新たな地平が広がっているのかもしれないし(少年漫画ならば、新しい必殺技を会得する場面だ)、あるいは手を切りづらいスライサーを探すべきなのかもしれない。

 

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先ほど、友人夫婦の家を訪れた際に、彼らの姪(中学生)からバレンタインデー用チョコレートの失敗作をいただいた。失敗作とはいえ、きちんと美味しいナッツ入りのチョコレート。アーモンドとピーナッツとカシューナッツを、溶かしたチョコレートで固めたもの。本番では、もう少しチョコレートの割合を減らして、ナッツを主にしていくと言っていた。
アドバイスを求められたので「クランベリーを加えたらどうか」等と、適当な事を言っておいた。チョコレートなんてずいぶん前に溶かした事があるだけだが、言うだけならば何とでも言える。それが理解の力、というものである。

彼女の言うことには「本命とか義理といった下品な駆け引き用語は、平成の新時代には使わない。情愛の伝達手段として、より純粋な贈り物イベントとして、バレンタインデーは存在する」らしい。素晴らしいことだと思う。確かに本命や義理というのは、僕も昔から品がないと思っていた。せっかくのチョコレートなのだから、聖バレンタイン氏とは関係無く「チョコレートデー」とでも改称すればいい、とさえ思う。
ちなみに僕の場合は毎日がチョコレートデーであるので、貰えるチョコレートは何であれ感謝と共に食すことにしている。デパートの高級チョコレートからJpeg画像(古い友人が毎年送付してくる)まで、チョコレートに関するものは大抵好きだ。しいて言えばウイスキーボンボンは苦手だが(酒が苦手)、でもボンボンの類もずいぶん美味しくなったと思う。昭和の時代のウイスキーボンボンは甘いだけで全然美味しくなかった、ような記憶がある。

 

確か中学生の時にも、同級生から試作品のチョコレートを貰った。あれから数十年が経ち、また試作品を食べている。悪い気はしないが、思わず「人生とは」と思いを馳せる夜である。

 

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版) チョコレート・アンダーグラウンド