豆大福だけの日。そして書店での出来事。

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日曜日らしく、特に何もしないで過ごした。
近所の人に貰った豆大福が美味しかったことが、今日のハイライトといえる。岐阜か兵庫の有名店の品。豆がエンドウマメではなくて黒大豆だった。つまり小豆餡と餅と、御節料理の黒豆の味。豆大福にも色々あるが、甘く煮た黒大豆入りは初めて。好みで言えば普通のエンドウマメを選ぶけれど、これはこれで悪くない。餡が甘すぎないから成立した調和だと思う。

日曜日だというのに会うべき人もいないし、急いでする事も無いし、おまけに週末に銀行に行きそびれたために、質素で地味でぱっとしない生活を送っている。

 

午後は書店に行った。
スマートフォンで雑誌を撮影している老人達が書店員に注意され、何やら議論をしていた。「立ち読みの延長である」「広告部分を撮っていた」といった抗議の声が聞こえる。

僕は週に4回は書店に行くが、もともと立ち読みの習慣が(ほとんど)無い。本は買うもの、あるいは図書館で借りるものという認識。たまに雑誌をぱらぱらとめくるけれど、情報を得たい時には買ってしまう。なんとなく昔からそういう習慣になっている。
おそらく、子供の頃に身についたものだと思う。あの頃は漫画本にビニールカバーはかかっていなかったが、好き勝手に延々と立ち読みしていると、書店員が迷惑そうな素振りをした。あくまで「買うための立ち読み」という暗黙の了解が、建前上は存在していた。
最近は基本的に、書店員は立ち読みの客には無関心のようだ。「立ち読み禁止にしたら客が来なくなる」という考えを前面に出していて、客の側もそれを心得ている。あるいは客は、立ち読みは当然の権利だと考えて、「立ち読みで得た知識」を堂々とTwitterやブログや実生活に流用する。あるいは写真撮影する。
そういう事をしていると、いずれ書店は潰れるし、その前に雑誌社が消えてしまうだろう。もしかすると単行本の単価が上がるかもしれない。
立ち読みはあくまでも購入の前段階の「書店からのお目こぼし」である、少なくとも雑誌代が払えるくらいの大人だったら少し恥ずかしがるくらいの心持ちで立ち読みに挑むべき、と僕は考える。残念だが、皆が無料で利用するには、雑誌と書店はコストがかかり過ぎている。たぶん。

そういう自分が週に4回も書店に行って何をしているのかというと、眺めて歩く、それだけを延々と続けている。表紙を眺め、帯を読み、背表紙を見る。
そして目についた本を買う。
小説の最初の数行をちらっと読む時はあるが、あまり参考にならないような気がしている。文庫本は短い解説文が載っているから、選びやすい。とにかく本を眺めながら店を一周するのが楽しい。

海外旅行の際に行った書店では、ほとんどの本がショーケースの中にあった。ガラス1枚隔てただけで、全く楽しくなかった。もちろん外国語だからという点も大きいけれど、やはり選ぶ時は手に取りたい。この「手に取る」距離感と、偶然の出会いが無ければ、本はAmazonに任せてしまうと思う。
今のところ、地元の書店がつぶれると困るので、Amazonはめったに使わない。情報収集ばかりして購入しないので、Amazonには少し後ろめたい気持ちがある。でも買い支えるならば地元の書店であり、Amazonは他の人に任せる。

今日は一旦手放した「天冥の標1巻」を買ってみた。最初から読んだら、きっと発見がある。

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA) 天冥の標 ? メニー・メニー・シープ (下)