成人の日と、図書カード

友人の友人くらいの間柄の知人が、成人式を迎えた。お祝いを渡すべきか少し悩む。結局、書店に行った時に図書カードを買った。包みの絵柄を選ぶ際に「成人式のお祝いですか?」と聞かれたから、たぶん図書カードはお祝いに通用する。ちなみにピーターラビットの包装紙だった。

この知人、本当は成人式には行きたくないという。友人は参加しないし、もともと「式」が苦手な質なのだ。その気持ちはよくわかる。僕も苦手だった。でも親の手前、スーツを着て参加する。
伝え聞くところによると、最近は地元でも、けばけばしいヤンキー系の人が騒ぐらしい。それも嫌だと言っていた。
「成人式は、美容院がそれぞれ主催すればいい。店のカラーに合った若者達が集まれば、みんなが幸せになれる」という彼の主張に深く共感する。スピーチ好きの老人はたくさんいるから、彼らを来賓として呼べば良い。断裂と孤立の時代。

ちなみに僕は、成人式は参加しなかった。
確か、帰省せずに大学にいた。あるいは長期休暇の際はいつも住み込みのアルバイト(リゾートホテル)をしていたから、その年も年末年始を含めたアルバイト中だったのかもしれない。仕事中に職場の人達からお祝いの言葉をかけてもらい、ホテルグループの焼き印がされた紅白饅頭を貰ったことだけ覚えている。その日は何故か、行く先々でガチョウの肝のパテ(缶詰)や、ブランデーのミニチュアボトルも貰った。高い宿泊料のせいか客は老人ばかりの「今までもこれからも衰退していきます」といった雰囲気が濃厚なホテルだったけれども、妙に鷹揚なところのある職場で、あれは良い人生経験になったと今になって思う。お年玉やチップもたくさん貰えた。

成人になって良かった、とはっきり実感できたことはほとんど思い出せないくらいに少ない。社会人になると、喫茶店やカフェには居やすくなる。そしてケーキを堂々と食べられるようになるけれど、それはどちらかといえば経済的自立の問題。とはいえ、好きな店に好きな人と(あるいは1人で)入って、食べたいものを注文するのは“大人”っぽいと思う。子供時代は自意識が邪魔をしていた。
最近は、平日の昼間からケーキを嗜んでこそ「紳士」だとさえ思う(甘党紳士論)。
僕の場合、飲酒の権利は不要なので(何処かで買い取って欲しいものだ)、「蕎麦屋で一杯」の妙味はよくわからない。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)