「ART&CRAFT SHIZUOKA 静岡手創り市」と「日タイ友好長政祭り」に行く。

 
 
護国神社。ART&CRAFT手創り市。 水。
春と秋に静岡護国神社で開催される野外イベント「ART&CRAFT SHIZUOKA 静岡手創り市」に行く。
気持ちの良い鎮守の杜の中を、様々な手作り作家さん達のブースを見て歩く。木工、陶芸、革細工、ガラス細工、布製品。それに自然趣向のカフェや屋台もある。
毎年の楽しみにしていて、今日もそれなりに見応えがあった。「これは欲しいかもしれない」と思い、会場を2周くらい歩いていたら売り切れてしまったマグカップは、今も少し悔しい。



しかし残念なことに、やや狭い方向に向かってだけ"濃く”なっているようで、居心地の悪い思いもした。
つまりは「素朴さへの先鋭化」が、静岡のアートとクラフト世界に訪れているように感じられた。



僕は「興味と好きが高じて、他にない奇想や超技術や芸術性を持った品」が、この種のクラフトフェアの持ち味だと思う。そして玉石混淆の面白さ。
春のイベントの時にも薄々感じていたが、今日の展示物の多くは、ただ素朴なだけ、手の温もりに拘っただけ、という妙な統一感があって、突き抜けて「欲しい」と思える品が極めて僅かだった。
以前は「僕は男だから使う機会は無いが、それでも買いたい」と悩ませる装飾品や、「今日を逃したら他で似た物には会えないだろう」と思わせる品が沢山あった。
素朴さも個性の1つだが、そればかり集めると「素朴さの良さ」が消えてしまう。厳しい言い方をすると、素朴過ぎて下品になる。



たまたま会場で合流した友人と「なぜだろう」と話した。彼もまた違和感を抱いていた。
「もしかしたら、福島の原発事故から始まった自然回帰ムーブメントの現れではないか」と仮説を立てる。でも誰かに聞くわけにもいかない。だから理由はわからない。
そういえば、今回は特に「自然回帰」っぽい人達が目立った。インド帰りのスナフキンみたいな男性や、古い着物をリメイクしたワンピースの女性が多い。
以前は当たり前にいた「森ガール」と「綺麗目カジュアルにセルフレームOLYMPUS PEN(ストラップで個性を主張)の男子」のカップルは、店でも客でも激減している。
全体的に、お洒落な人が減り「君はその格好で何処へでも行くのですか?」と聞きたくなるような、不思議な(でも画一的な)格好の人達が多かった。
見た目で人を判断してはいけないが、お祭りに参加する人の服装は、その人の一部を表していると思う。




売られている食品も、オーガニックでアースカラーの物が多い。
マシュマロやマカロンまでもが茶色い。ここまで徹底していると興味が湧いてきて、試しに買ってみた。普通の甘いマシュマロとマカロンだった。来年は茶色いゼリー・ビーンズも売りそうな凄みがある。
当たり前のように疑似科学マクロビオティックから放射能除去まで)が浸透してくるのが、オーガニック・フード世界の辛いところ。自然が人間の為にある、という世界観。
友達と「なんだかハードコアだね」と話す。ただ普通のチャイを飲むだけなのに「携帯電話を切ると素敵だ」とか「自然体でいよう」という貼り紙が目に入る。
この感じは、軽井沢や清里に旅した時に遭遇する「店主の主張が強いペンション」に似ている。「普通の簡素な宿でいいのに」と思うけれど、事前に察するのは難しい。
「野外フェスが盛り上がり過ぎると、フェスの持ち味の1つ「フレンドリーでオープンな感じ」が消えてしまう」というジレンマの話を聞いたことがある。バランスが肝要、という結論だった。




濃くなる事は個々人の好みだけれど、その引き換えに豊穣さを失うのは、アートとクラフトを掲げるお祭りとしては寂しい。
特に静岡のような田舎の場合は「今日は好みから外れていた。来週は別のクラフトフェアに行こう」というわけにもいかない。規模そのものが小さい事も、容易に先鋭化する原因かもしれない。
そして今は、街の雑貨屋や服屋や家具屋でも、買いたくなるような「作家もの」の品は多く置かれている。Webサイトもあるし、都会まで行けば選択肢も増える。
何しろ似通ったテイストばかりで、ぐったり疲れてしまった。「地方のクラフトフェアを巡業するスタイルの作家」が増えていると本で読んだが、そういう雰囲気も確かにあった。
コーヒー屋だけは毎年変わらず、マニアックに選んだ豆と、丁寧に淹れたコーヒーを売るだけ。他のアピールは無い。ストイックにすら見える。


散歩の途中。







cafe bikiniの「杏仁豆腐」。今日はアンズソース。
夕方に、浅間通り商店街のお祭り、「日タイ友好長政祭」に行く。
かつて山田長政という人が、タイの日本人街に住んでいて、戦で功を立ててタイの王様に重用され高い地位(知事)に就いた。その長政翁の生家が、浅間通り商店街にある。
だから「日タイ友好」であり、商店街のお祭りなのに、小さなタイ・フェスティバルでもある。



現代では「駿河の偉人 山田長政」は実在すら疑わしい人物だという意見まである。タイで活躍した日本人(商人兼海賊兼傭兵)がいて、浅間通りにはタイに渡った山田某がいた、という程度の話。
浅間神社には山田長政らしき人が奉納したと伝えられる絵馬が飾られているが、何しろ昔の人だから別名も多いし、鎖国中だから正確な記述も皆無で、本当のところはわからない。
そして「タイで名を成した山田長政の生地」は、実は日本中に幾つもある。
明治・大正になり、東南アジアに勢力を広げるにあたり「海外で活躍した日本民族」エピソードが必要になった為に講談として作り上げた「半分は創作上の偉人」だろうと言われている。
清水次郎長の手による創作とも言われる。そういう歴史上の人物は意外と多いのではないか。



しかし商店街の人達は、そんな話は気にしない。楽しめるものは楽しみ、友好もまた大歓迎である。
普通の屋台から、タイフードまで雑多に並んでいる。キックボクシングやタイの宮廷舞踊も楽しめる。在静岡タイ人のお祭り、という側面もある。
別に皮肉では無くて、先ほどまでの「静岡手創り市」から、この明るく雑多なお祭りに移動した後は、本当にほっとした。ココナツ汁粉を飲みながら、嬉しくなってしまう。
欲しい品など1つも無い。バザーと玩具と婦人会手作りのアクリルたわし、それから商店街の各店舗が外に並べた垢抜けない商品の数々。タイの雑貨も少しある。でも別に、つまらなくない。



Cafe Bikiniも、外で焼き菓子を売っていた。コーヒーを1杯と、明日のおやつ用にスコーンを買う。
コーヒーを飲みながら少し店の人達と話す。それから「杏仁豆腐」を勧められたから、買ってみた。椅子を借りて、座って食べる。
ハロウィン用の黄色い容器に杏仁豆腐が入っていて、容器と同じ色のアンズソースがかかっている。アンズソースは、とても酸っぱい。
そして杏仁豆腐は、まさに杏の仁という風味がして、なるほど杏仁豆腐というのはここまで美味しいものなのか、と驚いてしまった。生涯で最も美味しい杏仁豆腐だった。
ケーキ屋だからアンズの種は沢山手に入る。それを有効活用して、実際にアンズの仁を使って作るらしい。ケーキ屋ならではの工夫もしてあるから、中華料理店のデザートとは少し違う華やかさがある。
ショーケースに並んでいても、他に食べたいケーキは沢山あるから今までは買った事が無かった。杏仁豆腐は好きだが、情熱を持って対峙する種類の"好き”ではない。
Bikiniの味は信頼しているから、普通に美味しいのだろうと想像していた。それが予想以上の味であった為に、世界観(杏仁豆腐観)ががらりと変わってしまった。珍しい体験だった。






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