龍のタトゥー


思いがけない人からメールが届いた。もう何年も疎遠にしている人。隣の市に家があるのだが、遊んだりする間柄でもないし、年賀状だけのやりとりをしていた。
その年賀状についての話だった。

僕が送った年賀状のイラストを、タトゥーにしたいという若い女性がいると言う。
ボディボードをやっている人で、身体に描くタトゥーの原画を探していて、知人の家のコルクボードに貼りっぱなしになっていた龍のイラストを目にしたそうだ。
なかなか珍しい、そしておそらく光栄な事なのだろう。僕としては、それほどタトゥー的では無い絵柄に思うのだが、それはともかく。
その本人とメールでの数回のやりとりをして、先ほど電話で話した。何かパワーをイラストから感じた、それが選んだ理由と言う。それを聞いて(というかメールで読んで)少し戸惑う。


僕はタトゥーや刺青に興味は無いし、どちらかといえば苦手だ。周囲に入れている人もいない。
というよりも、彼らの熱心さが苦手。それは痛かっただろうし、そう簡単には消せないけれど、だからといって皮膚に色を埋め込んだだけで精神性や神秘性を語られても困ってしまう。
端的に言うと「これはファッションじゃない。生き様だ」とか「この模様には意味があってね...」と語られるのが嫌なのだ。



そしてサーフカルチャーに対しても、概ね無理解と言える。
海が近い土地柄で、サーフィン等はわりと身近なスポーツ。何度も誘われたことがある。
でも海といえば、波よりも潮溜まりを探索するほうが性に合っている。スキューバ・ダイビングやスキン・ダイビングは興味がある。いちばん好きなのは水族館。
海沿いの道を走っていて、うっかりサーファー向けのカフェに入ると、実に居づらい。



そういう反感と無理解の側にある人に、僕のイラストが気に入られた事は、しかしとても面白く思う。絵描き冥利に尽きる。
自分がどう思っているかは別として、彼女がイラストに期待するものを裏切るつもりは無い。それは無粋だろう。
嘘をつく気は無いが、彼女の物語世界を尊重しようと思う。それになにしろ、数年前の年賀状なのだ。完全に僕の手を離れている。



電話では色々な事を聞かれた。お互いにお礼の応酬をした後は、基本的に質疑応答の形式となった。
年齢、性別、それから何を使って描いているか。描いている時の気分や気をつけている事。なぜか出身校も聞かれた。
「もうすっかり忘れているが、たぶん描いている時はいつも通りの気分だったと思う。ありきたりにならないように、少しヘンテコな、架空の世界の絵になるよう、そして最小の手順で仕上げる」
そんな風に話した。神秘性なんて全然無いけれど、しかしそれでも勝手に想像して、スピリチュアルなパワーのある絵だという物語を作り出すのではないか。
あまり長く話すと、「実はイラスト描きというよりもパソコン操作を楽しんでいる」という事実がばれてしまいそうだったので、こういう短いインタビューで良かったと思う。



いつか完成したら写真を送って下さい、と最後に伝えた。
「海に来れば会えますよ」という返事。とてもかっこいい。気が効いている。
それがサーフカルチャーな人達の決まり文句なのか、それとも彼女のオリジナルな言い方なのかは知らないが、とにかく自分には縁遠い言い回しが気に入ってしまった。



いくらなんでもハガキサイズでは彫師がやりづらいだろうから、モノクロの線画で少しずつサイズを変えたものを何枚か印刷した。
ほんの少し修正もした。後は彫師がアレンジしてくれるだろう。
今から知人のところへ預けに行く。


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