さようならを言ったその後に

 
派遣社員として働くのは初めて。何がなんだかわからないまま、とにかくお仕事があるのは有難い事と、担当者には頼りきっている。
今の職場は、3月末までの契約。4月からは別の会社に行く予定だった。
それが先週、突然、派遣会社から連絡があった。今の職場は今日26日まで働き、明日からは隣町の工場へ行く事に。
「現場の人達には(急に辞めるというのは心象を悪くするので)黙って普段通りに退社して下さい。会社の上の人とは話をつけておきます」
と派遣会社の担当者は言う。
「制服等は持ち帰って下さい。私に届けてくれれば、クリーニング等をして送り返しますから問題ないです」
と、ちょっとよくわからない事も言う。制服は持ち出し禁止なのだ。他の借りた備品もそう。
でもまあ「上とは話を通しておく。万事問題ない」と言うので、そういうものかなと、従うことにした。



黙って退社すればよい、と言うけれど、やっぱりお世話になった人や、同じ仕事をしていた人、それに職場の上司には一言お礼を言いたい。
なので、こっそり各人に「短い間でしたがありがとうございました」と伝えた。
そのたびにに驚かれる。ああなるほど、現場の人達には伝わっていないのだな、慌ただしいなあこういうのは良くないなあ、と、ちょっと残念に思う。
そして課長や部長にも挨拶をする。しかし「えっ聞いてないよ」と2人とも驚く。何やら変な感じ。本当に上層部には話が通っているのか。
でもまあ製造部門の課長と部長も現場の人達かもしれないなあ、と、次は総務部に行く。何しろ社員証やロッカーの鍵や上履きや、借りたものを返さなければいけない。
そして人事部長に挨拶をする。しかし人事部長も、僕が今日辞めるなんて聞いていないという。
これは怪しいと、人事部長に派遣会社と電話で話をしてもらう。
人事部長はずいぶん怒っている。そして電話でのやり取りの結果、僕は最初の約束通りに、3月末まで働くことになった。次の仕事は4月の1日から。




一旦綺麗にしたロッカーに、私物や制服を戻す。
「おかしなことがあるものですねえ」と、部長や課長と話す。缶コーヒーを奢ってもらう。
専務とか副工場長といった見知らぬ偉い人まで出てきて「災難だったね」と声をかけてくれる。
何故、こんな事になったのか、派遣会社の担当者から電話があったので聞いてみた。
「カトーとサトーを間違えた」との回答。本当かなあ、と思う。それではカトーと間違えられたサトーさんは、今頃どうしているのだろう。
僕が明日から行くことにされていた工場は、春から夏にかけて臨時労働者を大量に雇うことで知られている。明日がその受入日。
派遣会社も、がんばって人を集めたいところだろう。
そこで、強引に僕の雇用計画を変更したかったのかと邪推している。
派遣会社側が「上層部と話をつける」事を忘れたのか、あるいは僕を月末まで欠勤扱いにするか何かして、上手いことやりくりするつもりだったのか。
あるいは僕が、職場の皆さんに何も言わず、そして制服や備品を持ち帰り、後は派遣会社の人に全てをお任せすれば、全てが上手くいったのかもしれない。その辺の機微を読み取るべきだったのか。
その場合は、僕は職場の人達に「ある日突然何も言わずに失踪した失礼なカトー」と思われそうだが。




しかし今日の夕方、しっかり挨拶をしてきたのに、それなりに感動的なやりとりをしたのに、明日はどういう顔で出社すればいいのか。
お別れを言った時に涙ぐむ人までいたのに。
困ったことだ。