10月9日(日)女木島 男木島(最後編:高松の夜) #瀬戸内国際芸術祭

 

 

自転車で散策中に遭遇した駅。悪夢的な入り口。狐面の子供(浴衣)がケラケラ笑いながら走っていたら最高だったのに。

 

ことでん」の終端。こういうものさえアート作品に見えてくる。

 

瀬戸内の夕暮れ。

 

またしても旅の記録。
男木島から高松港に着いて荷物をコインロッカーから回収、そのまま「ことでん」に乗って宿のある「栗林公園」方面を目指す。
この古くて小さい私鉄、ことでんは、なかなか素敵な雰囲気の鉄道だった。JRの駅と少しだけ離れていて、知らずに市街地に出てしまったため、遠回りをしたことを覚えている。

宿についたら、すぐに栗林公園へ。かなり疲れていたが、お茶の先生に強く薦められていたので。
確かに素晴らしい日本庭園。というか、その方面への素養が無い僕でも「たいしたものだ」と強引に思わせる、あの質の高さは日本随一だと思う。時間の関係で、ポスターやガイドブックに載るような地点はほとんど立ち寄れず、隅のほうを通過しただけだが、それでも随所に見どころがある。

しかし疲れは癒えず。
どこか喫茶店でも、と自転車(宿で借りた)を走らせるが、栗林公園向けの和風喫茶の類は日暮れ頃には閉店してしまう。

仕方がないから商店街が連なる市街へ。高松市といえば商店街とアーケード、とのこと。正直なところ「巨大な丸亀駅前」にしか感じなかったのは、疲労と、感受性の不足と、そして空腹が悪い。

商店街ではスーパーマーケットに立ち寄る。いっそのことここで買った魚介類を宿で食べようか、と思ってしまった。それくらいに「瀬戸内の郷土料理店」が見つからない。

で、ようやく見つけたお店が、仕出しや宴会や法事の席を主にする店であり、あまり個人の(しかも酒を飲まない)客を相手にする感じではなかったことは、もう書いたと思う。
まあ、美味しい煮魚だったけれど、旅先で煮魚を中心とした定食を食べても、あんまり嬉しくないのだった。
その後、ついカッとなってうどんを食べ、苦しんだことも書いたはず。

そういえば、栗林公園にあった県営(?)のお土産屋さんは、なかなか便利。一言で言えば、「ひととおりのものが揃っている」。特別に気の利いたものは事前の情報収集と行動力が必要だが、当たり障りのないもの(例:職場への土産)はここが便利。しかも様々な土地とジャンルの品がまんべんなく置いてあって、怪しいものは少なくて、楽な買物ができる。

 

その代わり、と言っていいと思う、寝る時間はとても早かった。
満腹で苦しく、疲れていて、洗濯その他の雑事が無いことが理由。Kindleで読書をしていたら、そのまま寝てしまった。旅が進むにつれ荷物が減り、翌日の準備も簡素になる傾向がある。

 

翌朝は日の出とともに起床。
さっと身支度して、また「ことでん」で高松の駅前へ。高松城の堀は汽水か海水だろうか。タイのような魚が游泳していた。

この旅の最終日は、「豊島」へ渡る。
まさに「瀬戸内国際芸術祭」の最後にふさわしい、いかにも島とアートの1日となった。それはたぶん、明日に書く。

高松市はどこか静岡市に似ていた。周囲が田舎で、中心街にはある程度の活気があって、お城がある。静岡は、低い街がだらっと平地を埋め尽くしていて(人口が多い)、港町が別にあって(清水区、旧清水市)、歓楽街が大きい。
たぶん昼間に歩き回れば、素敵なお店も多く見つかるだろう、そんな予感がする。書店で見かけたローカル誌(わりと真面目なもの)の雰囲気から、伝統と教養が感じられた。あまり関係無いが、宿の近くで買った「ローズ」は、アイス入りのシュークリームだった。静岡ではシューアイスと呼ばれる品。
興味深い街だ。また行きたい。

 

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