古本イベントと黄砂と炒飯

 

静岡市の山のほう、文化財的な古民家である「鈴木邸」で開催中の古書イベント「春の探書会」へ行ってきた。

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春と秋に開催されるイベントで、古本屋による販売から講演会まで、週末に様々な催しが行われる。
おいしい食事やパンもあるし、建物自体にも見応えがある。静岡県中部では珍しいタイプの楽しいイベントだ。

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今日は時間が無くて、古本を3冊だけ買って、すぐに帰ることになってしまった。
紙の本はあまり買うことが無くなってしまったが、ちょっと古い雑誌などは古本でしか手に入らない。懐かしいものや、父や叔父に見せたら喜びそうなものがたくさんあった。

それにしても黄砂がひどかった。
曇り空かと思ったら砂塵で空が霞んでいた、なんて時間帯もある。
静岡市の海岸からは駿河湾を挟んで伊豆半島西岸が見えるはずだが、今日は輪郭すら見えない。
山のほうも、どこかのっぺりとしていて、水蒸気による霞みとは違う風景になっていた。

 

所用で訪れた先には飲食店がまるで無い。
古い中華料理店が1軒だけ開いていたので、炒飯を食べた。
ここ数週間は外食で炒飯ばかり食べている気がする。
「こんなに好きだったかな」と疑問に思いながら、消去法で注文している。でも、今のところ全ての店の炒飯がおいしい。
好物なのかもしれないが、いまいち説明ができない。

 

炒飯は、店のものを食べても家庭料理に活かしづらいのが困ったところかもしれない。
つまり、おいしく作るコツが「油をたくさん使う」に収斂(?)してしまう料理なのだ。大火力のコンロも大きな中華鍋も、全ては大量の油があればこそ。自宅のフライパンとIHコンロでも、油脂さえ大量に使えばなんとかなってしまう。

しかし、家庭料理では、油をそんなに使いたくないのだ。だから、お店で食べるような炒飯は、家庭では実現しない。
それで全く問題ないこともまた、炒飯という料理なのだった。

全ての外食で家庭料理への経験を積む必要は全く無いのだけれど、いつも炒飯に関しては同じことを考えてしまう。
今日の炒飯はことさら油が強かったので、普段より強く「油をたくさん使えば、こうなるよね」と思ったのだった。

 

お題「ささやかな幸せ」

カレーとナンとビスケット:ヒマラヤンハラルバザール&ザ・ヒマラヤンステーション

所用により昼頃まで東静岡駅近辺にいた。
お昼をどうしようかと歩いていたら、同行者が「ここがいい」と立ち止まる。
看板には「ヒマラヤンハラルバザール&ザ・ヒマラヤンステーション」とある。店の前にはびっしりと自転車が並んでいたが、店はそれほど混雑していない。
どうやら中古の自転車は、売り物のようだ。

店の半分は、看板通りにハラルフードと輸入食材の店となっている。
乾物や冷凍のものも多いが、お菓子など手軽なものもある。

見た目からしてインドっぽいビスケット(130円)を衝動買いしてしまった。

 

残り半分が、いわゆるインネパ系カレー店。
最近、この日本に出店するネパール人が営むインド料理店についてのおもしろい本を読んだので、インドカレーは大歓迎である*1。ちなみに僕が読了後は同行者達に本を貸していた。彼らがこの店を選んだのも、本の影響だそうだ。

 

 

カレーは「今日のおすすめ」のヒヨコ豆と挽肉のカレー。
巨大なナンは軽い食感で、多めのカレーとちょうど釣り合う量だった。これにサラダと飲み物がついている。
こういう系統のお店としても安価なほうだと思う。店員さんの日本語が本当にたどたどしかったので、在静岡のネパール人やインド人も多く利用しているのかもしれない。

塩気もほどよく、とてもおいしいカレーだった。
この種の店では珍しく、ランチセットは1種類。そのかわりカレーの種類によって価格が変わるシステムで、カレーの数やサイドメニューが増えるセットは無いようだ。ただし、常連らしき人達は普通のメニューから選んでいたので、ナンとカレーにこだわらなければ、ランチセット以外を注文すれば良いのではないか。

 

しかし、このナンの写真はなんなのだろう。
ナンという食べ物は、日本語でよく使われる「何:なん」と同じ"読み"なので、文章が駄洒落じみてよくない。
しかし自分はどうしてこんな写真を撮ったのか。今になって思い返しても、全くわからない。

 

午後はひたすら忙しく、そして暖かな日だった。
許されるならば半袖Tシャツでも良かったくらい。
試しにマスク無しで外を歩いてみたが、薬も目薬も無しで花粉症は発症していない。でも黄砂は酷いし、人が多く行き交う場所にも出入りするので、やはりマスクはかかせない。困ったものである。

お題「ささやかな幸せ」

 

*1:久しぶりに買った新書。さらりと読めて、とても楽しかった。

 

 

Amazonの古いタブレットと海鮮チャーハン

古いAmazonタブレットを捨てずに使っている。
なにかのセールで安く買った。
IT機器のデバイス名は[機種名称+購入年]とする習慣なので、2018年に買ったものだ。
2018年に購入した、kindle Fireの8インチモデル。

 

 

主に読書用に使っている。
普段の読書では電子書籍専用端末のKindle Paperwhite*1を使っていて、タブレットではカラーページや写真が多い書籍を見るのに使う。
いくつか古いゲームのリメイク作も遊んだ。ドラゴンクエスト2とか、ファイナルファンタジー3をこのタブレットで楽しんだ記憶がある。

購入時ですら「安くてもっさり」なタブレットだったので、それ以外の用途では使わない。普段は非常用持ち出し袋に突っ込んでおいて*2、時々アップデートをしたり、読書に使うだけ。

そのタブレットを久しぶりに使ってみた。
もう半年以上は使っていなかった。
となるとOSやアプリのアップデートだけでも、大変な時間がかかる。
さらに今まで購入した電子書籍も、このタブレットにダウンロードする。
おそらく書誌ライブラリの再構築を全力で行っているのだろう。ダウンロードが完了しても、動作がおかしい。表示順序がめちゃくちゃなうえ、「購入したがタブレットには存在しない電子書籍」の一部が表示されない。

多くの異常は時間が経てば正常に戻る。
こういう、機器の性能が低いせいで、故障なのか、それとも処理が遅いだけなのかの切り分けが難しい状況は、なんだか懐かしい。
大昔のWindowsでは、よく遭遇した事態だ。ただ、なにしろタブレットなので、動作状況を示すランプもないし、特に熱くもない。もしかしてサボってるんじゃないかと疑ってしまう*3

とにかく、にっちもさっちもいかなくなったら再起動をしている*4
タブレットからしたら、いきなり叩き起こされて、アップデートやら書籍のダウンロードやら、たくさんの仕事を渡されたのだ。時々は人間が気を遣って、一休みさせてあげないと嫌になってしまうのだろう。

 

こういう「調子の悪い機械」の面倒を見ていると、時間がどんどん経ってしまう。
帰宅後の数時間、他の作業をしながら、ずっとタブレットに関わっていた。総じて言えば無駄な時間といえる。

 

 

そんな今日は、昼食に海鮮チャーハンを食べたのだった。
同行者たちが揃って「チャーハンを食べたい」と言い出して、影響されてチャーハンを食べる。この2週間は、そのパターンがとても多い。
僕が「バタークリームのケーキを食べたい」と言っても、誰も賛同してくれない。脂質と炭水化物を摂取するのなら、チャーハンと変わらないと思うのだが。

「海鮮〜」を選んだのは、全て流されるつもりはないんだぞ、という決意の表現だと思ってほしい。それに、普通のチャーハンと海鮮チャーハンが同じ値段だったのだ。つい「海鮮」が付いているほうを選ぶのは人情だろう*5

 

お題「気分転換」

*1:これもとびきり古い。でも、読書をするという目的・機能は変化しないので、それほど不都合なく使えている。

*2:非常時に最低限の娯楽として活用する目論見。

*3:コンピューターは、人間が見ていないとサボる。見ていてもサボる時がある。

*4:再起動でトラブルの多くが解決するのも、昔のパソコンみたいだ。

*5:普通のチャーハンは肉類が豪華で、肉チャーハンはチャーシュー麺のような状態だった。

あたたかく平和な年度末/映画「落下の解剖学」

あたたかな日曜日

気温は高く、風は強い。
当然ながら花粉が飛んでいる。庭の片付けをしていただけで、目がしぱしぱする。
十数年ぶりに花粉症となった今年は、忘れていた感覚を再認識する機会に恵まれている。この「目がしぱしぱ」もそうだ。
最初は目に前髪が入っているのかと思った。色々あって、なかなか髪を切れないのだ。
でもどうやらこれは花粉のせい。目薬をさせば12時間は保つのだが、忘れた時は大変である。

そして、自転車に乗っていると目薬も役に立たない。
進行方向に向けて目を向けているから、花粉が目に入りやすいのかもしれない。

かつて工場で働いていた時は、こういった不調の原因となる環境では、保護具を着用していた。具体的にはゴーグルや保護メガネを使えばいい。

しかし、少なくとも街を歩いていて、そこまで重装備な人は見かけない。
呼吸器に関してはマスクを着用しているが、目は隙間をガードする花粉症用のものが売られている程度だ。

せっかく暖かくなったのだから、自転車に乗ってどこかに行きたい。
もう少し花粉症に対応したメガネを作るべきだろうか。度付きでゴーグルに近い構造の自転車用サングラスもあるらしいけれど、そこまで手間暇かけるのも躊躇われるのだった。
そこまでするのなら「しぱしぱ」を甘受する。

 

 

映画「落下の解剖学」

長い映画だった。2.5時間はあっただろうか。
少ない登場人物とたくさんの台詞、美しい風景が印象的な作品で、その長い上映時間も気にならない。

ある山荘で落下死があり、その死んだ男の妻である女性が容疑者とされる。
目撃者は弱視の息子。
息子や幾人かの関係者の証言で裁判は進む。
となると法廷物か、真犯人が誰かを明らかにするミステリーのように見える。

でも最後のシーンになっても、裁判の決着がついても、本当のところはわからない。
観客の我々に明示されることもないし、登場人物もお互いに心を開かないまま終わる。
実に後味が悪い、しかしだからこそ真に迫る作品だった。

「裁判では真相は問題とされない」
「人の数だけ真実があり、誰も全てを見通すことはできない」
そういった、ありきたりな現実をしつこいくらいに重ね続けることで、普通の映画では味わえない新鮮な感興が湧いてくる。

 

 

しんどい映画、ではある。
でも、個人的には今年の最高傑作かもしれない。

これは観てもらわないと伝わらない類の映画だ。もし言葉で伝えようとしたら、4時間はかかる。
可能なら映画館で集中して観るのがおすすめだ。
僕は、もう1回は映画館で観たい。たぶん次は、また違った印象の映画になるだろう。

 

 

お題「ゆっくり見たい映画」

ドーナツ・新しいパソコン

ミスタードーナツ社が店頭に掲げている銘板を知っているだろうか。
実は全ての店にあるのだが、気づいていない人も多いかもしれない。
真鍮の小さなプレートで、刻まれているのは唐草模様で飾られたラテン語、そして多くの場合は入ってすぐの高い場所にある。
存在を知っていても、ただのインテリアだと思われがちだ。
でも、あの古臭い銘板には、ミスタードーナツ社の哲学が書かれている。

内容は以下の通り。

世界は2種類のドーナツで出来ている。
1つは良いドーナツ。
もう1つは、それ以外の世界の全て。水も空も骨も音楽も、良くはないが、等しくドーナツだ。

我々は良いドーナツを作る。
水と空と骨と音楽を変換して、良いドーナツを作る。

 

本来は、もう少し詩的な翻訳だったはずだ。
スマホのAI翻訳では、こういう硬い表現になってしまう。
でも、大仰で生真面目で、なかなか良い詩だと思っている。

アルバイトや平社員には教えないところも評価している。こういう言葉は、押し付けては駄目なのだ。悪い意味でスローガンになってしまう*1

 

そんなミスタードーナツで、今日はコーヒーとオールドファッション、それにフレンチクルーラーを楽しんできた。
歳をとると、ミスタードーナツでの選択が保守的になる。有名ブランドとのコラボメニューも"良いドーナツ"なのだろうが、まるで食指が動かないのだ。

いつも定番の品ばかりのトレイを見て、「ああ嫌だ歳はとりたくないものだ」と年寄りじみたことを思ってしまった。ミスタードーナツに行くと、いつも同じことを思ってしまう。

 

 

ドーナツはともかく、今日は新しいパソコンが届いたのだった。
といっても自分用ではない。
叔父が使うために購入した。
残念ながら「らくらくパソコン」は存在しない。高齢者向けに売られているものは、性能が低くて割高なものばかり。
なので、普通のビジネス向け通販モデルでそこそこの性能のものを用意し、不要なアプリをできる限り減らし、GoogleMicrosoftのアカウントを設定したものを「叔父さん用」として準備している。
アカウント情報は従弟(叔父の子供)に渡す。ここまで用意すれば、たぶん大丈夫だ。

 

そんな休日だった。
雨が降り続き、気温も10℃程度と低い。
夕方からは弱い頭痛が始まったので、解熱鎮痛薬を半分だけ飲んだ。
バファリンやイブが効きやすい体質なので半錠でも十分なのだが、これらの錠剤は胃粘膜を保護する成分が外側に配され、中心に鎮痛剤がある。そういう構造のものを割ってしまうのは胃に優しくない気がする。今のところ実害はないものの、いつも割った後にそのことに気がつくのだった。

お題「気分転換」

 

*1:ここまでは全て嘘です。

沼津市芹沢光治良記念館

今日もまた所用により沼津市へ行っていた。
伊豆半島の付け根のあたり、沼津港よりいくぶん南に下ったあたりだ。

先日も行った牛伏山や御用邸記念公園がある。
特に観光地として整備されているわけではないけれど、落ち着いていて散策するには良いところ。仕事でなければ素通りしている場所だった。

 

牛伏山の海岸は公園になっていて、小さな洞穴もある。ここは潮が満ちると海中に没するらしい。このあたりは地形が複雑で、いわゆる伊豆半島のジオスポットが点在しているのだ。

この洞穴は「おばんのふところ」と呼ばれている。「姥の洞」あるいは「姥の懐」という字だったようだ。
名前の印象とは別に、西伊豆も富士山も見渡せる、明るくて良い海岸だった。

この海岸と洞穴の近くに、小さな博物館がある。

沼津に住んだ小説家「芹沢光治良」氏の記念館だ。

小さく古びているが、凝ったかたちのコンクリート建築は、外観だけでも見応えがある。かつて沼津の経済が元気だった頃に、地元のスルガ銀行が文化事業として手掛けたのだろう。

1階がメインの展示スペースとなっていて、小説家の生い立ちや代表作、それに書簡などが並んでいる。
今は沼津市ゆかりの作家の特別展も行われていた。

大きな公民館のロビーくらいのスペースに常設展と特別展が行われているので、全体にぎっしりと詰まった印象。

僕は芹沢光治良氏の作品を1冊しか読んだことがなく、それほど強い印象も思い入れもない。だから、この狭いスペースに詰め込まれた展示は、かえって見やすいのだった。

沼津という土地は戦前に景勝地・保養地として文化人から政治家まで多くの人が滞在していたので、「沼津ゆかりの〜」と言い出すと、おそろしく長いリストが出来上がる。市町村合併西伊豆側のいくつかの町が繋がった今は、静岡県でも随一の「文人だらけの市」ではないだろうか。このジャンルで沼津に勝てるのは、熱海くらいしか思いつかない。

というわけで、川端康成太宰治、それから文人っぽくないけれど鈴木英治氏についてのパネルもあった。若い現役作家としては、宇佐見りん氏も紹介されている。

 

1階から上は、螺旋階段を登っていく。
ここはなかなか格好良いつくりで、無駄が多いデザインが贅沢。ふた昔前は、地方の小さな博物館や美術館でも、こういった凝ったつくりをしていたのだ。今では考えられない。

 

階段を登りきると、小さな部屋に出る。
イベントに使うのだろうか、がらんとした部屋だ。小学校の教室よりも狭い部屋で、四隅にスタッフ用の小部屋があるだけ。

 

そこから屋上に出ると、展望台となっている。
防風林などに囲まれ、さほど視界が開けているわけではないけれど、伊豆半島はしっかり見ることができる。

こう言っては悪いが、マイナーな公立の記念館だ。
昔はともかく、今の時代に芹沢光治良氏のファンも少ないだろう。僕が訪れた時は、他に来館者はいなかった。

正直なところ、100円の料金を徴収・管理する手間を考えたら、完全無料にしても良いのではないかと思えてくる。充実した展示とは裏腹に、人気というか需要が少ない。

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でも、僕はこの場所が大好きになった。
ひっそりと落ち着いていて、狭くて、情報が多い。
完全に「年寄りの趣味」じみているけれど、見つけて良かった場所だ。

駐車場もあるけれど、牛伏山公園に車を停めて歩くこともできる。
近くには先日訪れた「アルゴンキン館」もある。

 

 

次はサイクリングで訪れようと思っている。自転車ならば、駅から港、そしてこの牛伏山周辺を経て「あわしま」や三津まで行くことができるだろう。

良い夕方を過ごすことができて、今日は大満足だった。

 

お題「気分転換」

休日に読む本・読みたい本

休日…ではあるのだが諸事情あって朝からパソコン作業をしていた。
8時間ほど作業をして、途中で15分の休憩を2回と、昼に55分の休憩(食事と日用品の買物を含む)。
これでは仕事ではないか。

元より今日は街や行楽地に行くつもりは無くて、家で静かに過ごすつもりではあった。
本を積んで*1どっさり読書をする予定だった。

それなのに、夕方までに得たのは、肩こりと眼精疲労だけ。
これではいけないと近所の山に行ってみたら通行止め。炊飯器はタイマーのセットを忘れていたし、買物の後で買い忘れ*2に気づいた。



そんな感じの、ぱっとしない休日だった。
仕方がないので、先程から「オービタル・クラウド」を再読している。

大好きな小説で、もう何度も読み返している。
他にも好きな作家は多いが、藤井太洋氏の作品は、今日のような日に"効く"のだ。
特に「オービタル・クラウド」の終盤は、もう頭の中に映像が浮かぶくらいに気に入っている。大作映画のラスト直前みたいな、思い浮かべるだけで爽快になるシーンがあるのだ。

他に「映像が思い浮かぶ」小説といえば、吉本ばななさんの「白河夜船」や、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」が思い浮かぶ*3


村上春樹氏の作品もいくつかありそうだが、「映画のように、きちんと形になって再生される」ものは、「羊を巡る冒険」くらいか。

 


いや、全て個人的な妄想ではあるのだが、そういったわかりやすい作品が手元に(そして脳内に)あると、特定の場面で再読するのに便利なのだ。

 

その中でも「オービタル・クラウド」は、元気になりたい時に*4引っ張り出す作品なのだった。
見たい映画や動画、それに読みたい小説もたくさんあるのだけれど、馴染んだ本を引っ張り出してばかりなので山は積み上がるばかりだ。

お題「わたしの癒やし」

*1:あるいは電子書籍のライブラリを並び替えて

*2:ヨーグルトと味醂

*3:白河夜船に関しては、実際に「小説と同じ風景を見た」ような気さえしている。「西の魔女」は映画も好きだが、それとは別に、頭の中に存在する光景がある。

*4:Amazon Kindleのライブラリから

自主的に自粛

同居する父が風邪気味、昨日会っていたという親戚も風邪気味…という緊張の週末。
かかりつけの医者に相談し、検査をした結果は「十中八九、ただの風邪。ついでに花粉症の始まり」とのこと。経過観察は必要だが、とりあえずほっとした。
持つべきはかかりつけの医者である。

しかし、身内に病人がいる状況では外出も自粛する必要がある。
幸いなことに冷蔵庫には食材が十分にあるし、自室には本もある。未読の電子書籍と、図書館から借りてきた紙の本を交互に読んでいくだけで休日を過ごせそうだ。
さらに言うと、業務換算で7時間分となるパソコン作業も抱えている。


本当はショッピングモールに行って靴下を買うつもりだったし、映画館にも行きたかったのだが*1、のんびり遊んでいる場合でもないのだった。

 

 

問題は運動不足である。
最近、ちょっと怠けると足腰が弱るようになってきた。最近あんまり動いていないな…と思っている時には、街を歩いているだけで疲れてしまう。
それくらいに基礎体力・筋力が落ちている。

なので夕方に誰もいない道を選んで散歩をしてみた。
我が家の周囲は、低山と、今は寂れた新興住宅地と、田畑しか無いのだ。大抵の道は、誰もいない道である。
寒いし、歩いていても面白くない道ではあるが、それでもとにかく歩くのだった。

 

 

そんな風にして土曜日は更けていく。
父も、隣の市に住む叔父達も、風邪の症状はおさまったようだ。
何よりである。

 

今週のお題「元気を出す方法」

*1:映画館の近くの店で、2月限定のチョコレートケーキも食べたかった。

川根本町で魯肉飯

駿河湾から大井川を1時間ほど遡ると、川根本町に到着する。
今日の目的地は、その川根本町千頭駅周辺。


千頭駅は、大井川鉄道大井川本線の終点であり、アプト式トロッコ列車で有名な井川線の始点でもある。
しかし平日の昼間は観光客の姿もなく、おそろしく静かな田舎町だった。

 

その千頭駅から数駅分だけ山奥に行った集落に、「てんでんこ」というお店がある。
お昼ごはんの飲食店を検索して見つけた店だが、なかなかおもしろい場所だった。

ランチは毎日やっている訳ではないらしい。
基本的に1種類。今日は魯肉飯(ルーローハン)だった。



丁寧に味付けされたそれは、以前どこかの台湾風屋台で食べた汁かけ飯みたいな雑なものとはまるで違っている。でも香辛料はしっかり効いていて、実においしかった。
昨今あちこちで食べられるようになった魯肉飯だが、量も味付けも、この店のものがいちばん好み。

食後にコーヒーと八雲煎餅*1を食べて、実に豊かな気持ちになれた。

ところでこの場所は、食事もできるが基本的には私設図書館に近い。
古民家のかなりのスペースを、本が占めている。
買うことができる本もあるし、知育玩具や伝統玩具の販売コーナーもある。今日のように食事が楽しめる日もある。
しかし基本的には、文筆家(?)である店主さんとその奥様が選んだ本を好きに読み、あるいはワークショップ的なものに参加する場所なのだという。

イベントやランチの日などは、随時Instagramで確認するのが良いだろう。

 

Webサイトには「としょかん,あそびば,喫茶・食事,販売」とある。

tendenco6.webnode.jp

こういう文化と遊びと古民家の組み合わせは全国あちこちにある。瀬戸内海の小さな島や、古い城下町ならば珍しくはない。だけど、この川根本町のような「普通の田舎」で偶然に出会えるなんて、ちょっと驚いた。

 

時間があれば、長居してみたい場所ではある。仕事の合間に立ち寄る場所じゃない。
気になる本はたくさんあった。
猫はかわいかった。
本も猫も魯肉飯もあるなんて、夢みたいな場所だなと帰路には思ったのだった。

 

お題「昨日食べたもの」

*1:店主さんの故郷、北海道の名産品らしい。

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