みたらし団子とコーヒーの夜。

 

普段は滅多に食べないが、みたらし団子は好物だ。
京都の“本物”も、街のお団子屋さんで買う焼きたても美味しい。

 

 

でも、スーパーマーケットやコンビニエンスストアにある、安くて、タレが固まっているような品も、それはそれで素晴らしい。
あのお団子専用のプラスチック・トレーに、まるでゼリーのようにはまり込んでいるタレが良いのだ。ああいうとろりとした物がかかっている食べ物のなかでは、かなりロスの少ない種類だと思う。

そしてあの飴のような甘さ。懐かしい甘露飴を思い出す。
団子そのものにも甘みがあるのは、長時間置いても固くならないようにする工夫か。もう少し頑張って、甘味を減らしてくれても良いのだけれど、それもまた良しとしたいところ。

コーヒーが合うと思う。
今日は夜なので、カフェインレス・コーヒーを淹れた。
淹れたといっても、一人分の紙パックを開封してカップに乗せてお湯を注ぐ簡易ドリップの品(何と呼べば良いのかわからない)で、コーヒー自体に銘柄も何もなく単に「カフェインレス」と書いてあるだけのもの。でもきちんと美味しい。苦くて口に残るくらいの、この味が良いのだ。

 

買ったのは西友プライベートブランドで、しかも1串多いキャンペーン品。100円だった。
さすがに多いから、2本だけ食べて、残り3本は冷蔵庫へ。たぶんこの土日に食べてしまうだろう。

夜に甘いものなんて、と思う自分には、でも油をたっぷり使ったドーナツやスナック菓子よりヘルシー、と自身による反論をしたい。詭弁だが、どうせ自分のことなのだから、特に問題は無い。

 

 

 

 まるで関係無いけれど、このチロルチョコは美味しい。
職場の後輩さん達に、箱で貰った。マジパンの杏仁香が強くてお気に入り。

 自分で買っても良い、くらいに気に入っている。コンビニで売っているのだろうか。

蒟蒻の味噌汁

ご近所の知り合いから、上等な蒟蒻をいただいた。どれくらい凄いのかはよくわからない。旅先のお土産売り場に並んでいる品よりは、たぶん良いものなのだと思う。透明な袋に入っているだけの素っ気ないものだが、それくらいはわかる。

いただいた時に、「味噌汁にすると、味の違いが明確になる」と聞いた。
そして、「蒟蒻のみのプレーンな味噌汁でなければ駄目だ」とのこと。

ならば作ろう。朝食にて支度をし、食べてみた。
添付文書によると、あく抜きに45分という、妙な時間を指定してくる。長いし、具体的かつ細か過ぎる。確かに上等な品だということだけは伝わってくるが、でも蒟蒻だぜ、って思ってしまう。

とにかく食べてみる。
うん、まあ美味しいのだろう。
こりっとしている、とまではいかないまでも、固さが違う。味はどうなのか、よくわからない。なにしろ蒟蒻だから、溢れる旨みが舌の上で極上の音楽を奏で世界の法則が書き換わり空から天使が…とはならなかった。
特別な野趣も無いし、水の如し善さ、というのもまた違う。ただただ、蒟蒻味だった。

しかし蒟蒻だけの味噌汁は、実際味噌汁としては美味しい訳ではない。
上等な蕎麦屋で、「まずは水だけで(キリッ)」とざる蕎麦を勧められた経験があって、なるほど蕎麦の香りは良いものなのだなと感心したのだけれど、あれだって最初から最後まで水で食べていたら拷問になっていたと思う(その後、次は塩で、そしてようやく蕎麦つゆが登場した)。

味噌汁にはコクを足すと良い、と僧坊料理の本に書いてあった。
茄子だけを具にするのなら胡麻油、といった風に。身近なところでは、豆腐には油揚げが合う。あの油揚げも、コク担当なのだ。
大根の千切りなど、野菜をたくさん使う、しかも甘みのあるものならば、それはそれで味噌味に合うから不要だが、基本は「味噌にはコク」だそうだ。

その説によると、蒟蒻だけの味噌汁は、やはり寂しい。というか、食べていてずっと、その本のことを思い出していた。こっそり一味唐辛子を振ってみたが、あまり効果は無かった。

ただし、こういう素っ気ない食事は好きだ。
物足りなさも味のうち、というか。
出勤する日の朝食には、どうにも馴染まなかったが、でも良い経験となった。

 

 

 

♪Fly me to the moon.

たまに設備を借りにやってくる別の部署のおじさん、伝え聞くに実はとても凄い研究者とのことだが、気さくでお洒落で、いかにも自分の研究が大好きでたまらない、という雰囲気が素敵だ。実験の話になると止まらないけれど、その時間で給料が貰えるのだから、ものすごく得をした気持ちになれる。

で、その人が今日は一人で難しい作業をしていた。でもやっぱり楽しそう。口笛で小さく、「Fly me to the moon」を吹いている。
それを聞いた職場の若い(といっても30代だが)人が、「あの人エヴァンゲリオンの歌を歌ってる。やっぱり理系はオタクだ」と他の人達に言いふらしていた。いやそれは違う…と訂正するも、「知らないよ、そんな難しい洋楽の話」と言われてしまった。そうか難しい洋楽の話か、となんだか面白くなってしまった。嘘じゃないが、僕の中の「洋楽」は、ちょっと違うのだ。ロッキングオンに載っているのが、僕にとっての洋楽。

 

Fly Me To The Moon

Fly Me To The Moon

 

職場での出来事といえば、上司に声をかけたら「ざいてん!」と返事が返ってきた。なんだざいてん、って。天に在り、か。
どうやら「先生!」と呼ぶつもりが「おかあさん」と発声してしまう小学生のような、よくわからないミスらしいのだが、でも僕が知りたいのは「ざいてん」のこと。
僕は帰宅して玄関のドアを開けた時に、「ただいま」と言いたかったのに、「じゃあ入るよー」と言いそうになったことがある。ある、というか昨日がそうだった。「じゃあ入るよー」は、お風呂を先に入る時に家族にかける言葉。
たぶん脳が壊れているのだろう。まあ、昔の電話はよく混線したというし、Windowsなんて不思議なトラブルが山盛り搭載されているのだから、僕の脳がおかしくても、それくらいは不思議ではない。

でも「ざいてん」は気になる。 
SF小説ダイナミックフィギュア」に登場したロボットの1体が、そう、ザイテンだった。あれは良い小説だ。今でもたまに読み返す。

 

ダイナミックフィギュア(上) (ハヤカワ文庫JA)

ダイナミックフィギュア(上) (ハヤカワ文庫JA)

 
ダイナミックフィギュア(下) (ハヤカワ文庫JA)

ダイナミックフィギュア(下) (ハヤカワ文庫JA)

 

 

ロッキング・オンの時代

ロッキング・オンの時代

 

 

給油停止に遭遇

車の給油ランプが点灯して3日目。そろそろガス欠が怖い頃合いとなったため、ガソリンスタンドに立ち寄る。今回はセルフ式のスタンド。

セルフ式は、この季節は寒い。でもまあ、自宅の近くで入りやすい場所というと、どうしても同じ店になってしまう。価格はどこもそれほど変わらない。店員が入れてくれる店とも変わらない。しかしどうせ数十円の違いであり、特にこだわりは無い。

 

寒い夜に、がんばって給油作業を続ける。
雪国の人達はどうやって給油しているのだろうか、などと考える。導電性のある手袋を着用するのだろうか。

あと少しで給油完了、というところで送油がぴたっと止まった。何なのだろうとノズルの角度などを見ていた時に、隣のそのまた隣の給油エリアに、店員2名が駆け寄るのが見えた。
どうやら、煙草を咥えながら給油を始めようとした人がいたらしい。
とりあえず全場の給油を一時停止、そして彼(おっさんだった)に注意をする、という対応とのこと。
なるほど、火気厳禁が定められた場所で、煙草の周囲でだけ危険物の出入りを止めてもあまり意味は無い。少なくとも、法令その他に定められた安全確保にはならないのだろう。
一斉に止める、というのは理に適っている、と僕は思う。どこまでがマニュアルなのか法令なのか法律なのか知らないが、それくらい厳しい場所なのだ、ガソリンスタンドは。

しかしこの21世紀になってセルフ式ガソリンスタンドでの火気厳禁を把握していない利用者は、たぶんいない。それでも吸う人というのは、つまりルールを守る気が無いのだ。
このおっさんがまさにそうで、何やら店員達に文句を言っていた。
がーっと怒って、でも店員も譲らず、結局そのまま退去した様子。
このように、「話が通じない人」というのは、どこにでも存在する。
どちらかというと庶民的で生活臭のある場所に目立つ気がするのだけれど、どうだろう。コンビニエンスストアで威張り散らす人が乗っていた車に「V.I.P」と書いてあった時は、笑ってしまった。

 

話が通じない人、といってまず思い浮かべるのが、職場の知り合いだ。以前、一緒に書店に行った時に、雑誌の記事を撮影していた。慌てて止めたのだけれど、その時に
「えっダメなの?みんなやっているよ」
と言われてしまった。
みんなやっていれば許されるなんて理屈は無いと思うし(多数決で決まるのか?)、それは少し考えればわかる。売り手側、作り手側、そして買う側の立場と、様々な方面から考えることも可能な問題だと思うし、それほど難問でもないだろう。でも、きっと今まで考えてこなかったのだ。
お店のあちこちには「撮影は禁止です。窃盗みたいなものです」と貼り紙があるが、それだってきっと見ていない。

そういえばこの人は、こんな事も言っていた。
「コミックはビニールカバーが邪魔で、立ち読みができない。みんな好きで漫画を描いているのだから、本当に読みたい人、ピュアな読み手には無料で開放すればいいのにね」
これも僕はびっくりした。返答より先に、「ピュア」と声に出してしまった記憶がある。
「漫画家は出版社からお金を貰えばいいし、出版社はオタクから多くお金をとればそれで十分じゃないか、誰もが儲けるつもりだからダメなんだ」と。ピュアなオタクがいたら世界の法則が崩れそうな理屈だ。僕はたぶん無料閲覧ができない側だ。
そのレベルの理屈でいえば、日本銀行は国民全員に1兆円ずつ発行すれば万事解決、という気もする。あの時に提案していれば褒めてもらえたかもしれない。

 

 

そういえばガソリンスタンドで騒いでいた人は、「言われれば火なんて消すが、煙草で引火した事なんて無いし、他の店ではいつも何も言われない」みたいな事を言っていた。きっとピュアな、つまり自分が大好きで大切で最高なのだろう。
ガソリンの引火性が(そして書店を取り巻く経済とモラルが)彼らのピュアさを汲んでくれるとは到底思えないのだけれど。

 

 

ぐるぐる問答: 森見登美彦氏対談集

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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

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騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

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恵方巻きとデーツ(チョコレートを挟んだもの)

帰宅前に牛乳その他の補給物資を購入するために、スーパーマーケットへ立ち寄る。
地元には無い、職場周辺にのみ展開する小規模チェーン店を選択。地理的にはそれほど違いは無いはずだが、売っているものがまるで違っていて、楽しい。静岡県西部の品がなぜか目立つ。

必要なものを籠に入れ、さらに自分用の品々を漁るために店内を歩く。お総菜コーナーも、いちおうチェックする。買わないけれど。

ちびっ子2人が寿司・米飯コーナーで遊んでいた。おや可愛らしい双子かな、と眺めていたら、目が合ってしまった。
彼女達は僕に向かって訴える。「そこのおじさん、恵方巻きを買ってくれよ」という意味の言葉を放つ。「無ければ探してくれ」とも。
僕に言われても困る。保護者は何処に行ったのか。
ちびっ子達のお婆さんだろうか、少し離れたところでスタッフと世間話をしている老婆がいて、でもこちらのことは気にしていない。

たぶん恵方巻き体験が、とても楽しかったのだろう。
世間はもうそんな事があったことは忘れている。彼女達だけが覚えている。陳列されているのが、ただの太巻き寿司だということは、もちろん理解していない。

いや、太巻き寿司で正解なのだ。
480円のそれを買って、恵方を向いて、囓ればいい。それが恵方巻きだ。
暦なんてものは人間が決めた。人間がそれを一時的に無視しても、神様はきっと許してくれるし、福くらい大盤振る舞いしてくれるのではないだろうか。恵方巻きと決めたのなら、その太巻き寿司はまさに恵方巻きなのだ。

でもどうだろう。
僕ならば、太巻きよりも、他のお寿司を買う。今日だったら、「春色助六セット」が、妙に安い。太巻きだって2切れ、入っている。山菜入りの稲荷寿司なんて、珍しいではないか。値引きシールが貼られていて、310円で買える。破格といっていいだろう。本物の節分の時の恵方巻きは、ずいぶん高かった。

そんな事を考えつつ、そしてちびっ子2人の言葉は無視しながら、僕自身は冷凍のブルーベリーや無脂肪乳を買っていく。なんとなくチョコレートは買いづらい。

やはり先ほどのお婆さんが保護者だった。
主食に関してはお総菜コーナーで済ませる気ではなかった様子。ただし、菓子パン売り場にて「スイスロール」を買ってあげる、という素晴らしい提案を示し、孫達もそれを了承していた。
スイスロールは僕も好きだ。滅多に買わないが、食べると嬉しい。たぶんスイスには売っていない気がするが、それもまた魅力のひとつだと思っている。

無添加 トルコ産デーツ(サイヤ種) 1kg  種無し

まるで関係無いけれど、ドライフルーツのデーツ(ナツメヤシの実)を半分に開いて、チョコレートを挟むと、とても美味しいものになる。Twitterか何かで知った食べ方の簡易版。
ビターチョコレートはもちろん美味しい。ホワイトチョコレートだと、なんと以前書いた「柿バター」を思わせる美味しさ。デーツ単体とは別物の味になります。

 

 

 

美森まんじゃしろのサオリさん

美森まんじゃしろのサオリさん

 

 

本を売ってケーキを食べる。

いわゆる「家のことをやる」日曜日を過ごした。
本をまとめて処分する。
シリーズで買い続けていた漫画も、1年読み返していないものは売ってしまう。1年前の今頃に、本棚や引き出しの撮影をしていたので、それと現状を比べる。ただ頭の中で選別するよりも、画像があるほうがやりやすい。効率以上に、気分が違ってくる。

最近は、特に長期連載の漫画に関しては電子書籍にて買うことにしている。そういう“長く追う”漫画そのものが減ったこともあり、そして文庫本を無闇矢鱈と買わなくなったこともあって、ようやく本が目に見えて減ってきた。
ベッド下を占める引き出し3つ、これは個人的に「閉架」と読んでいるが、そこに満杯だった本は、7割程度まで減らせた。それ以外にも本棚があるし、読みかけの本を置く棚もいくつか存在するが、そちらも減少傾向にある。
残念なことに、今回の整理作業で「閉架」を引き出し2つに減らしたかったけれど、そこまでは上手くできなかった。いちおうジャンルなどで整理しているから、ぎゅうぎゅう詰め込むわけにはいかない。

 

さてその本の整理によって、幾ばくかの現金を得た。
BOOKOFFのレシートを見ると納得がいかないから、まず捨てる。そして、そのお金を握りしめて(慣用表現:実際は財布に収納した)、ケーキを食べに行った。

 

https://www.instagram.com/p/BQZrQv5F3cn/

 

藤枝市蓮華寺池公園近くにある「ボクゥボクゥ」。ここでモンブランを食べた。
世の中には美味しいケーキは数あれど、本を売って食べるケーキは、また格別だ。書くと長くなるから割愛するが、「物語性」があるお金と、その使い方だと思っている。

もちろんケーキとカフェオレだけでは、大きなトートバッグ2つに詰めた古本の価格とは釣り合わない。かなり余る。それはもちろん、本を買うのに使う。
僕の右肩と左肩に、僕の姿をした小さな天使と悪魔がふわふわ浮いていて、その2者が声を揃えて「本を買いなさい」と薦めるのだ。それが正しい使い方だと。
お金に使い途は書いてないのだが、とにかくこの5千円と少しは、書籍代専用である。

 

部屋も片付いたし、ケーキも食べた。
モンブランはマロンクリームにバターがほんのり感じられて、中には甘くない生クリームと、チョコレートコーティングされた焼メレンゲが入っていて、素晴らしい。
昼寝もしたし、新しく購入した加湿器兼空気清浄機も安定稼働している。まあまあ良い週末だったと言える。では寝ます。おやすみなさい。

 

 

ほんほん本の旅あるき

ほんほん本の旅あるき

 
谷根千ちいさなお店散歩

谷根千ちいさなお店散歩

 
チェコのマッチラベル チェコで見つけた、あたたかなともしび

チェコのマッチラベル チェコで見つけた、あたたかなともしび

 

 

 

 

映画を2本、ケーキを1つ、炒飯も。

静岡の街で映画を鑑賞。



まず「こころに剣士を」を観た。素晴らしい映画だった。ちょうど梨木香歩さんの「エストニア紀行」を読んだ後だったから、より楽しめた。

 

 

 

 


そして10分ほどの休憩の後に、「アイ・イン・ザ・スカイ」を。これもまた良い映画。ドローンを用いた非対称戦争のお話。ずしんと心に来る作品。

さすがに2本の映画を連続で観ると、疲れる。
子供の頃はまだ「2本立て」とか、それこそ子供向け作品ならば「豪華3本立て」が、街の映画館であったと記憶している。上映時間が短かった気もするけれど、でも3本観ても平気だったのだから、加齢というのは総じて不便だ。

しかし観て良かった。靴を同じ日に2足買うと、ひとつはお気に入り、もうひとつは補欠、みたいになる。服も同じ。でも映画は、どちらもきちんと楽しめる。
ただし繰り返しになるが、疲れる。
映画館を出て、ふうっと深呼吸する。しばらく街の雰囲気が違ったように思える。その度合いが、やけに強い。眼鏡を買い換えた直後に世界が鮮明過ぎて疲れてしまう、そんな感じに近いかもしれない。

静岡市では唯一といっていいミニシアターの「シネギャラリー」は、向かいに大きなお寺がある(というか、このお寺が経営元)。
映画が始まる前、あるいは合間には、よくこのお寺を散策する。可愛らしい現代的なお地蔵さんなど、あまり好みではない(そして有り難みに欠ける)石像も目立つし、シックとは言い難い庭ではあるけれど、でも時間つぶしには良い場所だ。お墓は古いものや歴史上の人物のお墓、無縁仏や戦争で亡くなった軍人さんのものまで揃っている。いつも漂うお線香の香り、周囲にはビルやデパート。静岡市なのに、少し都会っぽさが味わえる。

 

 

[静岡]本のある場所 (momo book)

[静岡]本のある場所 (momo book)

 

 

おやつには、MARIATHANKにてイチゴのミルクレープという品を食べた。イチゴが美味しい季節。ミルクレープを食べるのは久しぶりで、つい写真を忘れてしまった。

 

夕食までは自転車で街を探検。ただし今日はとても寒い。停まらない限り身体は平気、でも顔が寒いという状況。いわゆる“静岡の街”を端から端まで、それから南から北へ走り抜けた。

 

夕食は、大盛りで有名な炒飯専門店で、ハーフサイズの海鮮炒飯を食す。半分の大きさでも、お腹いっぱい。セットに付いてきた唐揚げと餃子は、余分だったかもしれない。しかし炒飯だけ食べるのも寂しいからと、うっかり注文してしまった。

映画2本で、頭が疲れた。目だって、たぶん酷使した。
ケーキで血糖値が上がった。美味しいケーキは心が温まる。
寒いなか、自転車を走らせて、身体がほどよく疲れた。
炒飯で満腹。
お風呂も入った。
つまり、今とても眠い。もう、寝ることしか考えられない。寝るために今日は遊びまくった、そんな気さえしてくる。頑張れることは、明日に回す。それでもう、いいじゃないか。

こういう眠い日は、お風呂の後に髪が乾くのを待つのが大変。ふと思いついてドライヤーという電熱送風機器を使ってみたが、とても便利だ。なるほど良い機械だ、と感心する。文明の利器、といっても良いのではないだろうか。
濡れた髪を乾かすのにおすすめです。マイナスイオンやナノイーは不要です。

 

エンストとインフル

職場の、やや偉い人と雑談をする機会があった。
この人は「もうすぐ定年、そして妻子もいるのに、一人旅が趣味」という事を自らの(愛すべき)キャラクターとして話したがる。むしろ、自分のそういう部分を伝えるために、旅について話すきらいがある。
旅の話をする時は旅についてだけ話せばいいと僕などは思うのだが、どんな時でもまず「いや俺ね、奥さんも子供もいるんだけどさ、どうしても一人が気楽な時があって…」から話が始まる。「いい歳して、変わってるだろ?」と。

そして海外出張の時は、上手いこと数日間の旅を最後に仕込むことでも有名だ。そういう事が今の時代でもできるのが不思議なのだけれど、他の人と別れて、週末を利用して少し遊んでから帰国する。

 

そんな旅慣れた人なのに、国際感覚がちょっとおかしい。
「フランス人というのは、わかる英語でも通じないふりをする。フランスではフランス語を使え、と威張っているのだ」という話は僕も聞いたことがある。でも、それを実体験に結びつけるのに、「フランスでレンタカーがエンストした。でも、“エンスト”と言っても通じなかった」という体験談をするのだ。アメリカでもイギリスでもエンストは通じないんじゃないかな、と僕は思うし(En-sto!)、この人はTOEICも仕事としてある程度の成績を求められる職種と立場なんだけど、そういうズレが話のあちこちに確認できる。
きっと、海外で「満タン」とか言っているのではないか、と想像する。「パソコン」とか、巻き舌で言いそうだ。「インフル」は絶対に使っているだろう。

 

僕はどういうわけか、この「インフルエンザ」の略称、「インフル」が気になって仕方がない。いつの間にか当たり前の言葉になっていた。
少なくとも、仕事の場、色々な立場の人が集まる場では、避けたほうが礼儀として正しいと思うのだが。たぶん略す意義を感じられないからだと思う。でもTV番組から仕事中の会議まで使われている。

略称とは違うけれど、以前、海外からのインターン生に対して、「携帯電話での写真は、日本では写メと呼ぶ」と教えている人がいて、うひゃーとなった。それ違うで、あんたの若い頃の流行り言葉やねん、と言いたい。さすがに古い。
古臭くて気持ちが悪い事は確かなのだけれど、でも少しだけ可笑しみがあるのも嘘じゃない。
発展途上国の人がエンジンを「ヤマハ」と呼んだり、小型バイクは全部「ホンダ」だったりする、そういう雰囲気がある。わからないまま受け入れて、定着した感じ。
明治時代の「メリケン粉」のような趣きもある。時代の臭みがある言葉は、いつだって言葉に興味が無い人が伝えていく。

 

戦争中の暮しの記録―保存版

戦争中の暮しの記録―保存版

 

 

 

揚げた芋と飲む芋と。

勤務時間の後半に、ふとフライドポテトが食べたくなってしまった。1年に1回から3回ほど、そういう衝動が湧く。逆に言うと、それ以外の時はフライドポテトには興味が無い。
この場合のそれは、基本的にファストフード店のフライドポテトであり、さらに限定するとマクドナルドのMサイズを指す。

少し残業をして空腹だったこともあり、それでは寄り道をしようと試みる。残念なことに、通勤路にはマクドナルドその他のファストフード・ハンバーガーショップは存在しない。

そして、疲れた日には、少しの寄り道も避けたくなる。
僕の場合は田舎道をひた走る経路であり、お店に寄るというのはすなわち市街地、いや街というよりごみごみした田舎の国道へ近寄ることになるため、それよりはとにかく家に帰りたいという気分が強くなってしまう。

ともあれマクドナルドが見えてきた。後は買うだけ、という状況で、どういうわけか店の前が混雑している。たぶんドライブスルーを利用する人達の車だろう、道にまではみ出て、1車線が渋滞している。
普通の駐車場も入れそうにない(酷い構造だ)。
どのような理由かは皆目見当がつかないけれど、マクドナルドは不思議な行列が稀に発生する。
きっと並んでまで得たいものがあるのだろう。
僕だって、唐突にフライドポテトが食べたくなってしまったので、そういう人達が偶然にある時刻(夕食には少し遅いが不自然ともいえない19時30分過ぎ)に集合する事だって、もしかしたらあるのかもしれない。

結局、フライドポテトは買えなかった。でも玄関で靴を脱ぐ頃には、その“熱”も冷めていたから、結果としてはヘルシー&エコノミーである。夕食の煮魚にも、たぶん合わなかっただろう。

 

そして食後に、少しだけ自分を甘やかすものを作った。
このブログ記事にある「タロイモとココナッツミルクのドリンク」を真似する。


徹底して手抜きバージョンにアレンジ。
里芋は冷凍のものを電子レンジで温めるだけ。ココナッツミルクは小さな紙パックの品を輸入食材店で買ってあった。味付けは、同じ店で買った、とろりと甘いココナッツミルクとタピオカの瓶詰デザート。なにしろ本物の甘さがわからないから、これが基準となる。
里芋とココナッツミルク、それに瓶詰の液体部分を混ぜる。適当に潰して、ミキサーにて攪拌。低脂肪乳も少し入れる。
だいたい味が決まったかな、というところで瓶詰のタピオカを投入。

少なめを意識して作り、コップに2杯ぶんが完成。
ココナッツミルクはずいぶん余った。タピオカパールを買ってくれば、飽きるまで作れるだろう。
濃厚なのに優しい味わい。薄甘い、より少し甘い程度が美味しい。ただし本物の味、正解はわからない。
とはいえ、大満足。
静岡の中心街あたりで、あと数ヶ月経てば飲めそうな気がするが(静岡初上陸!と看板が出た頃には、都会で廃れている現象が予想されます)、わざわざ買わなくても良さそう。
里芋でいいじゃないか、という気もする。タロイモ、あれはとても良いものだけれど、食べるならば別の料理がいい。ベトナムの揚げたタロイモ、あれは本当に美味しかった。

あ、結局、また揚げた芋に話題が戻ってしまった。
フライドポテトはまた別の機会に。近いうちに食べそうな気がする。静岡市で美味しいのは、「チェリービーンズ」と、「ALLEE RESTAURANT」だと思う。まるで方向性が違うけれど、止まらない味。

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