静波海岸散策と疲労のこと

所用で朝から外出。静岡県中部から西部へ向けて海沿いを巡る。そ
の途中で静波海岸近くを通ったため、これ幸いと「mahoroba」へ立ち寄った。

大好きなエスニック料理店。タイ料理をメインに、地元の野菜をたっぷり使った食事が楽しめる。現在は週末を中心に朝と昼の営業。とても健康的な外食だが、きちんと美味しいし、妙な(安直なナチュラリスト的な)能書きも皆無。良い店です。国道150号沿いの住人は是非行って欲しい。

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今日は「汁無しのタイヌードル」と「カボチャ、豆、里芋のココナツカレー煮」を食べた。どちらも素晴らしい。ココナツカレー煮は家でも試してみようか。里芋って南国の植物なのだと認識させられる味。

どういうわけか、店先にカニが歩いていた。波の音が聞こえるほど海沿いではないけれど、用水路はあるから、特に支障は無いのかもしれない。陸上でも平気そうな種類は、生活としては虫とそれほど変わらないのだろう。

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MAHOROBA

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食事のあとはしばし散策。

折りたたみ自転車で、夏の間は海水浴場だった辺りを走る。海の家は閉店しているが、サーファーの数は多い。昔の知り合いが海岸にいたので少し話をした。彼は実家暮らしだが、友人達と共同でアパートの1室を借りていて、そこをサーフィン趣味の拠点としている。アパートの外にある水道にシャワーがついているあたり、そんな利用法を大家側も承知しているのだろう。

 

 

天気は絵に描いたような秋晴れ。
気持ちが良いけれど、なんだか足が重い。
夕方、帰宅前に大型商業施設とホームセンターとアウトドア用品店に行ったのだが、買物のスタートからゴール(ゴール?目的のものを買い、いくつかを諦め、今後の検討リストを整理した状態です)に至るまで、延々と「ああ疲れた」と考えていた。
それでも足だけは動き続け、しかも「買物なんて止めて、さっさと帰ろう」とは思わないタイプの疲労だった。

幸いなことに、帰宅して一息ついた後に確認した限りでは、無駄な買物はしていない。やけに時間はかかったが、金銭的な無駄はそれほどでもなかったようだ。

こんな事が前にもあった気がする。そして日記にも書いたような。
旅が終わって夜に自宅に着いて、翌日から休まず働き、意外と疲れもしなかったし平気だったな、と思っていたら土曜日に唐突な疲労が襲ってくる。病気とか、体調を崩す、とまではいかないが、大変なことは確かだ。

というわけで今日は寝ます。念のために葛根湯を飲んだ。冬服を出しておきたかったが、それは明日にがんばる。もうお風呂も入ってしまったから、こうして日記を書いている。困ったことに、だんだん元気になってきた。

 

夜行

夜行

 

 

パソコンの上達法

今日は旅の話はおやすみ。
職場のサブリーダー的な人が、「パソコン業務の時間がやたらと多いが、どうなっておるのだ」と注意を受けたとのこと。それで、「職場の若い下っ端にちょっと教わってくるがよい」みたいな事を言われて、若くはない下っ端である僕に話が回ってきた。つまり、きちんとしたスクールや、システム担当者のアドバイスといったコストのかかる手段はとれないが効率化はしたい、という事なのだと思う。

といってもプログラミングやサーバー管理ではない。アプリ開発でもないし、VBAでもデータベース構築でもない。単なる「メール、WordとExcel、たまにPowerPoint」だ。

「パソコンの上達法、一言で表すと何だ?」と問われた。
これは簡単、即答できる。
「手癖で扱わないことです」これだけ。

特にExcelやWordは、見たままの感覚で使うと、たぶん無駄が多い。
この部分に文字列を並べたい、と考えたら、そういう機能がどこかにあって、きちんと(コンピュータさんに)指示してあげなければ駄目だと考えなければならない。人間がモニタ上で「この辺りにほら、文字を並べたじゃないか」と思っても、印刷したり他のパソコンで見ると、並ぶ保証が無い。この場合は「文字を並べるツール」の存在を信じ、探し、使う必要がある。

特に信じることは大切で、素人が考える諸々は9割方、揃っている。決して、スペースやエンターキーを連打してレイアウトを整えたり、曜日や単位付きの数字をそのまま手入力してはならない。

でもクセはある。残念なことに、Microsoftを完全に信用はできない。
Wordは「これは欧米人がレポート書きに使う、タイプライターの進化形」と捉える。Excelは「行列」を子供の頃に学んでいたら、それを思い出す。

もうひとつ、商業印刷物や企業のレポートといった、“きちんと作られたもの”を普段から意識して見て、それが自分でも作れるのだと考える心構えも大切だ。別に匠の技が要るわけではない。彼らも僕達も、キーボードとマウスで操作するのだから。

 

もちろんこんな精神論は話さない。雑談として留めておく。
でも一旦、自分の“感覚”を疑って、次にMicrosoftの流儀、制作者の目論見を想像するだけで、少なくともMicrosoft Officeは扱いやすさが全然違ってくる。
普通は資格をとる、セミナーを受けるといった経験のなかでそれを自覚するのではないか。

 

そういえばパソコン作業を早くする、もっと大切で具体的な秘訣があった。「ポインタの速度を上げる」ことだ。
マウスで動かすあの斜めの矢印、設定で最高速にしておくとそれだけで無駄な時間が省ける。大丈夫、すぐ慣れる。他人の自転車に乗る程度の、慣れる時間は要るかもしれない。
しかしこの根本的な対策は、部署や企業によってはまるで無視されていて、一昨日行った部署では、ほとんどの人がマウスをさっと動かして持ち上げて戻し、ぱんと大きな音で机に打ち付けてまた動かし、とやっていた。彼らは映画やドラマでそんな操作シーンを見たことがあるのだろうか。
手が速く動けば作業が捗るのと同じく、マウスポインターは(一般的な作業では)速いに越したことはない。

 

ところでパソコンの事務仕事でいちばん困るのが、「スキルは低いがガッツがある人が作ったExcelファイル」だと思う。ところどころに工夫がされていて、でも基本の作法(スプレッドシートの基本形とか)は気にしない。きっと長い時間をかけたのだろうな、と思わせる装飾がされている。使う側としては、とてもやりづらい仕様になっている。
こういうファイルは、スキルが低くても配慮がある人はまず作らない。昨今は「こういうものが作りたい」と思ったら、Webサイトを検索すればいいのだから、そんな自己主張は排除できると知っているのだ。

 

いつかMicrosoftも、望むかたちを伝えるだけで、綺麗な報告書や簡単操作の集計表を作ってくれる電子のイルカ(あるいはクリップ)を開発してくれるのだろう。それまではガッツができるだけ要らないような工夫をしていくことが大切だろう。パソコンは(そしてWordやExcelは)省力ツールだということを忘れてはならない。

 

 

 

 

 

10月9日(日)女木島 男木島(前編) #瀬戸内国際芸術祭 そしてノーベル文学賞

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)

今年のノーベル文学賞ボブ・ディラン氏。
なんとなく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出す。自分の中で古びない作品のひとつ。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)

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さて旅の思い出について。
2日目は早朝から高松港に行くつもり、だった。が、1時間ほど寝坊した。アラームを止めてからぼんやりと二度寝睡眠薬(4分の1錠)が効き過ぎた。
それでも、朝食を省略して、ほぼ予定通りの時刻には高松へ到着。幸いなことに駅から港はとても近い。大きな荷物だけコインロッカーに入れて、港へ。

春の瀬戸内国際芸術祭には無かった状況が発生していた。行列だ。
切符を買うための行列が、早くもできていた。予想はしていたが、こんなに並ぶとは。怒って係員に文句を言う人もいたが、でも普段は島民のための船、増やそうといってもそう簡単にはいかないだろう。高松は瀬戸内の島々の、そしてこのイベントの(交通上の)ハブでもあるうえに、宿泊客も多い。いきおい集中してしまう。

でもさすがにイベント慣れしている。速やかに連絡船を増便し、フェリーに乗りきれなかった人達を輸送する。僕はフェリーに乗ることができた。
並んでいる間、列の後ろにいた女の子(愛知の美大生だそうだ)と少し話した。
そして、交代でトイレや買物、そして食事まで済ますことができた。こんな時、例の讃岐式うどん店(やはりというか、港から徒歩数分の場所にあって、朝から開いている)が便利。宿を出る前に軽く野菜ジュースなどを飲んできたから空腹ではないが、でも後のことを考えるとお腹に何か入れておきたい、という程度の食事をとれる。しかも美味しい。

 

今回の行き先は、男木島と女木島。
島に近づくとやはり盛り上がる。春の時は本州から小豆島や直島に向かった。その時とは海も島も少し様子が違う気がしたが、これは上手く書けない。

まず辿り着いた女木島は、良くも悪くも観光地らしさが目立つ。
島に到着したらほぼオートマティックにバスの切符を買わされた。ほとんどの人が切符売り場に並び、それじゃあ僕はまず港の周りを散策しようかとぶらぶらしていたら、「にいちゃん早く買わないと駄目だ。バスが行ってしまうし、そうなると次の船までこの狭い港だけで過ごすことになる。ほらバスが出てしまう、お金は運転手に渡せばいいから、早く早く(標準語訳)」と声をかけられて、急いでバスに乗ることになったのだ。なんだか古臭い観光地みたいだったな、と思って山頂に到着したら、まさに古臭い観光地にある由緒正しく怪しい観光施設「鬼ヶ島大洞窟」だった。
こういう安っぽい見世物、大好きだ。でも今回はそういう気分ではないから、たとえこの島が鬼ヶ島のモデルだったとしても、やはりパスする。代わりに洞窟前の茶店で黍団子を食べながら、地元の老人と話をして過ごした。老人はとても目が良く、眼下の海に浮かぶ小舟に誰が乗っていて、これから何処に何をしに行くのかを教えてくれる。
最初はこの観光地じみた観光地に連れてこられて損をした気分だった(鬼ヶ島大洞窟なんてベネッセに買収されちゃえばいいんだ。そして建築家に再構築されちゃえばいいんだ、って思った)。でも1皿180円の黍団子と老人との会話で、やっぱり良いところだと思い直した。

帰りのバスで元の港に向かう途中、あとは集落を歩くだけ、というあたりで途中下車する。坂道を下りながら展示を見て歩くには楽な選択。静かでこぢんまりとした村。細い道を歩きながら点在するアートを見ていく。

いちばん気に入ったのがこれ。古い建物をまるごと改造して、映画館を作ってしまった。かわいい内装だけでも楽しいが、短編映画を延々と上映していて、それも素敵。アジアの若手作家のアニメーションなどは、YouTubeで見るよりもやはりスクリーンが良い。
ここはかなり気に入ったため、帰りの船の時間を計算して、できるだけ長く、何度も出入りした。

setouchi-artfest.jp

 

 

この女木島で有名な作品といえば、林立する海鳥のアート作品。これはもう、船が港に入ってきたところから迎えてくれる。

帰りの、というか男木島行きの船を待つ間、眺めて楽しむのにぴったり。

setouchi-artfest.jp

 

坂が多く、かつ狭い島。
船が2時間毎に来ることもあり、その2時間を過ごすのならばバスと徒歩、1日楽しむのならハイキング気分で、と多彩な楽しみ方ができる。次に行く男木島と、それから他の島々とも少し違う雰囲気もあって、そういう多様性を感じられただけでも、訪れた甲斐があったと思う。

男木島については、明日か明後日に書きます。明日は会社の飲み会があるから、また別の話(例えば愚痴)になってしまうかもしれません。それもまた、日常。

 

10月8日(土)観音寺、本島、丸亀 #瀬戸内国際芸術祭(後編)

実はもう記憶があやふやなところがある今回の旅。印象がぼやけている訳ではなく、色々と渾然一体で時系列や土地との繋がりがわからない感じ。写真を眺めるとしっかり思い出す。

 

本島での展示では、特に「産屋から、殯屋から」が気になった。
現代アートで穴蔵で紅くて暗くて、というと「胎内巡り」とか「エロスとタナトス」みたいなものが多くて苦手なのだが、それよりもう少しさっぱりしている。写真が不吉な感じなのも良い。


それから雑誌やテレビでも多く紹介されるこちら。
僕は島巡りの最後に行った。大したものだなあ、と感心する。色んな角度から眺め、風を感じながら数十分を過ごした。
天気も良くて本当に気持ちの良い展示。地元の人が「これ漁網なんやで」と教えてくれた。なんだか誇らしそう。

この展示だけでも、島に来た甲斐があったと思う。街中では、こうはいかない。

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まだ島を巡る所要時間の見積もり(?)が上手くできなくて、最初は駆け足で(といっても自転車だが)、最後はその自転車を返してから暇を持てあます状態だったが、でもなにしろ春からずっと待っていた瀬戸内の島なのでそれもまた素敵な体験。
港の周囲にある飲食店が数も質も残念だったけれど、島の老婆から買ったイチジクは美味しかった(7個で200円程度。ただし数個は熟しすぎていた)。イチジクを食べ、缶のブラックコーヒーを少しずつ飲みながら夕方に近づく海を眺めていると、まるで自分の人生じゃないみたいだった。物語っぽい時間。村上春樹の異国滞在エッセイにありそう。

 

島から丸亀に戻ったら、雨が少し降り始めた。
「骨付き鶏」の名店、「一鶴」の本店で夕食をとる。既に行列ができはじめていたが、居酒屋的に使う人ばかりではないせいか、回転は速い。それほど待たずに席へ案内される。

メニューはそれほど多くない。売り物の骨付き鶏というのは、スパイスと塩をたっぷり使った炭焼きのもも肉。「ひなどり」は市販されている鶏肉と同じく、まだ若い鶏を使ったもので、柔らかくて肉汁も多い。少し安くて、一般向けとされているようだ。
そして「おやどり」は、いわゆるひねどりというのか、歳をとった鶏のもも肉。切れ目を入れてくれてあるが、固い。肉の味は濃くて、せっかくならばこちらのほうが、と僕は思う。お願いすれば骨から外して一口大にしてくれるらしい。普通はかぶりついて食べる。

なるほど美味しい。
料理上手な人の作る、思い切った塩加減の肉料理といった感じ。家庭では出せない味だろう。お酒が進む味、と言ってもいいかもしれない。しかし別に注文した炊き込みご飯も美味しかったので、外食らしい濃い味付けの料理として素晴らしいと思う。
付け合わせにはキャベツの切ったものが数枚。これを山盛りで注文できれば言うこと無しなのだが。

ちなみに僕は「おやどり」「ひなどり」両方食べた。1羽ぶんの脚部なので、かなり食べ過ぎ。サラダも注文したが、野菜不足でもある。
宿に戻る前に駅に隣接しているスーパーマーケットで野菜ジュースなどを買いこみ、部屋で飲んでみた。
このスーパーマーケットは全体的に安い。練り製品が珍しいものばかり、でもさすがに買えない。和菓子や菓子パンも、静岡とは違う。でも北海道ほどの独自性は無い。鮮魚に小魚(切り身にはならない、防波堤で釣れそうなもの)が目立っていて楽しい。骨切りしたハモも、静岡では買えない。

 

 

 

翌日以降のことは、また後日書く。今日はもう、寝ます。
思い出して整理するのも楽しい、そんな旅だった。丸亀、もっと探検したい街でした。夜に(祭ではなくて練習か祝い事として)獅子舞をやっていて、これも珍しかった。

 

 

 

 

 

 

10月8日(土)観音寺、本島、丸亀 #瀬戸内国際芸術祭(前編)

東京都から射出され加速中の新幹線に飛び乗る、それが静岡県民にとっての西へ向かう電車旅の始まり。JRは静岡が嫌いなので、停車も減速もしない方針なのだ。義体化が一般化した現代でも、たった数分の「ランデヴー・ウインドウ」に間に合わせるために階段を駆け上がることは珍しくない。

新幹線に乗ってしまえばあとは楽なもの。目的地の岡山まではスリープ・モードで過ごす。

岡山駅からは「SHI_O_KAZE_No.5」に乗り換える。日本語で「陸上型瀬戸海峡突破特殊装置群五号」と訳される電車型のそれは、瀬戸大橋を強引に走行して四国へ突入するのだ。ここからが異郷、「ぼっけえ、きょうてえ」の四国である。

 

 

 

特急しおかぜ5号は定刻通りに観音寺駅へ到着。
気温、大気組成、気圧とも許容範囲。明るく晴れた、静かな街。

ここ観音寺は、瀬戸内国際芸術祭2016とは(個人的には)関係しない。「餡入り餅の入ったうどん店」などの、飲食を目的とした訪問だ。

駅前にあった瀬戸内国際芸術祭の案内所でレンタサイクルなるモビリティ・デバイスを借りる。静岡県における「ママチャリ」によく似たそれは、タイヤの空気圧が足りないこと、ブレーキパッドが摩耗していること、サドルが低すぎることを除けば快調そのもの。
軽く走った限り「汎用田舎度判定」は地元と変わらないレベル。が、山の形が違い、田畑の雑草が違い、そして人間が少ない。この人間の少なさは、この旅のほとんどの場所で感じることになる。

 

残念ながら、目的の店「かなくま」は、祭のために閉店中だった。店の人に薦められ、祭の開催されている方面に向かう。
この祭、子供達が引く山車や神輿のようなものが興味深い。見たことの無い形だった。

それにしても腹が減ったと思った辺りに、小さなうどん店がある。気がつくとそこにうどん店、もまた四国らしさと言えるかもしれない。

名前も忘れた観光客向けではない店だったが、素晴らしい昼食を楽しめた。「ばらずし」や「おでん」はセルフサービス、うどんは店員に注文するスタイルらしいが、これは誰も教えてくれないため、かなり異国感がある。
異国といえば、店員さん(ほぼ全員が老婆)同士のやりとりが聞き取れないところも「遠くへ来た」と思わせるのだった。平文と暗号、そして圧縮言語を混在させたその老婆間通信は、ところどころに聞き取れる単語が混じるために、逆に盗聴を困難にしている。「にくかけさんばんさんかまほっとさきにきつねほっと…」とリズミカルに(数人の老婆が同時に)発声していて、これで厨房はどうなっているのだろうと覗いてみると、そこにもまた老婆が数人。
僕は「肉ぶっかけ冷」と「ばらずし」を食べた。静岡県ではこのような炭水化物偏重の食事は非文明的とされるが、郷には入れば従うのもまた静岡人である。ちなみに「ばらずし」は素朴なちらしずし。美味しかった。

ケーキを食べた和菓子屋さんも素敵だった。落ち着いて温かい感じ。だがしかし、写真を忘れた。

食べるものを食べ、ゆっくり自転車を走らせていると、今日はこれでもう宿に行けばいいんじゃないかと思えてくる。が、僕は瀬戸内国際芸術祭に来たのだ。島に行く。面倒になってきたので、似非SF文体も止める。

 

まず宿のある丸亀へ向かう。

丸亀駅前は、かつて栄えたであろう商店街が残る、懐かしい感じの街だった。子供の頃にこういう港町に住んでいた。「かまど喫茶店」や「フィリピン・バーベキュー」といった不思議な看板に心惹かれる。
若い人達がやっているイベント(美味しいコーヒーと焼き菓子を購入)を冷やかしながら、まずは宿に荷物を預ける。

そして徒歩で港へ。そして「本島」へ。
商店街の入り口で買いこんだタコ焼き(元祖だそうです)は、小さくて醤油味、ちょっと甘い。ソースとマヨネーズと青海苔よりも美味しいと思う。

久しぶりの船。春の瀬戸内国際芸術祭以来か。
懐かしいし、なんだか泣きたいような気分でもあるし、よくわからないがにこにこしてしまう。

本島はそれほど大きくない島。歩いても楽しめそうだが、レンタサイクルで効率よく巡ることにした。起伏は少なく、海沿いの道をゆっくり走るのなら疲労もさほど感じない。

作品を順番に見ながら、港と反対側の集落を目指す。
古い町並みを保存している「笠島」という地区まで行ってみた。

そこで偶然見つけたパン屋さん「honjima bakery」が素晴らしい。古いが面白い造りの建物で土日だけパンを焼いている。宿に帰ってから食べてみたら、ふんわり優しくて好感が持てるパンだった。
ここでは冷たい紅茶を飲んだ。
ミルク抜きで甘くしていない、かつスパイスを効かせたアイスティーをお店で飲んだのは始めてかもしれない。自分ではよく作るが(今朝も作った。職場で飲む)、さっぱりして良いものです。
何もかもが違うが、三重県菰野町のパン屋さん、「ふじっこぱん」が、瀬戸内の離島だったらこうなるのかもしれない。

この島は猫が多い。
可愛いのでみんな写真を撮る。僕も撮る。が、糞の問題は臭いで伝わってくる。たぶん(いわゆる)野良猫問題も発生しているだろう。そう考えると、外来者が楽しむばかりという状況は不健全なのだろうなあ、などと考えてしまう。
瀬戸内の旅において、沢山の猫や、古い建物や感じの良い空き地、もっと言うと“かわいい島のおばあちゃん”といったフォトジェニックで旅人が楽しむ対象のほとんどは、過疎や衰退と繋がっている。
これは、旅の間ずっと考え、今も引っかかっていること。何故だろう、長野の避暑地ではほとんどそんな事を気にしないし、アジアの世界遺産よりも強く意識してしまうのだ。

 

 

さて、展示と、それから夜のごはんについて書く前に、寝る時間になってしまった。別に疲れが溜まっているわけではないのだが、ここ数ヶ月の間、何度か「突発的な病気とそれに伴う有休取得または半休取得」があったため、この「3連休を使った旅」に、少し批判的な人が職場にいるのだ。別にどう思われようとかまわないが、今週は健康第一に過ごさなければ、たぶん“面倒なこと”になる。旅をしたら偏頭痛は消えて、肩こりも緩和して、夜だってぐっすり眠れるようになったのだが、そういうアレコレを(心療内科の件も含め)話しても通じる相手ではない。だからとにかく、寝不足は防ぐ。

それにまだ荷物の整理が完全に終わっていない。早起きして少しずつ進めていく。

 

 

 

 

 

帰りの新幹線で豊島と瀬戸内国際芸術祭を考える。


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いま、新幹線に乗った。あとはもう、家に帰るだけ。寄り道も、食事もおやつも無い。旅の終わりはいつだって寂しい。

同時に、僕にとっての「瀬戸内国際芸術祭2016」も、ほぼ終了した。同じ年に2回も、しかも同じイベントになんて人生で初めて。そして、「来て良かった」と様々な状況で心から思えた旅も珍しい。


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今日はとにかく混雑していた。 @cimacox さんの日記を参考に万全の準備で行った豊島だが、まず早朝の船から行列ができていて大変だった。早めに行動し、切符や席を確保できたら飲物やちょっとした買い物をする、という行動パターンが封じられた形。

食事だって、せっかくだからと「島キッチン」に行ったのだが、早めの予約で、食べたのは14時。美味しいし趣旨は共感するけれど、今回の旅はゴチソウ感に欠ける。道案内のお礼にと知らない人(アート系乙女)に貰った蛸飯は妙に美味しくて、いかにも旅らしい。


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電動自転車も豊島美術館も予約していたので(前述の日記が役立った。多謝)、必ず行きたい場所は全て廻れた。寄り道して見た展示も楽しめた。でも、念のために予定の1時以上前に港へ寄ったところ、もう「本州行きの船の、切符を買うための整理券」のための行列が始まるところだった。慌てて自転車を返却し、最後の買い物をしたから事なきを得たが、隣の集落までサイクリングすることは断念した。

人数が多いと不行届者も増える。撮影禁止の作品を撮る人や、静寂を求められる場所で騒ぐ人達。

そういう苦労や些細な「嫌なこと」はあったにしろ、豊島は最高でした。詳しくは後日書くが、「ずっとここにいたい」と思わせるアート鑑賞体験なんて、めったにできない。


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他にも行きたい土地は多く、休暇もお金も限りがあるから、またすぐにとはいかないだろう。でも今の僕は完全に「瀬戸内国際芸術祭」のファンであり、芸術祭が無い時期でも、島巡りと四国観光をするつもりだ。

 
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ああ楽しかった。癖になりそう、でもトリエンナーレ。来年と再来年は無いのだ。


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瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック

瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック

  • 作者: 北川フラム,瀬戸内国際芸術祭実行委員会
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2016/03/12
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直島から瀬戸内国際芸術祭へ─美術が地域を変えた

直島から瀬戸内国際芸術祭へ─美術が地域を変えた

 

 

瀬戸内国際芸術祭

 

旅の失敗


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今、おなかがいっぱいでつらい。それが、今日の失敗。

旅そのものは、とてもすばらしかった。男木島も女木島も、一生の記憶になるだろう。島の高台で、港で波を見ながら、アート作品を楽しみながら、何度そう思ったことか。


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昼食の選択は失敗した、かもしれない。及第点だがまだまだ上を狙える、と思えてしまう選択だった。島に上陸して、パンフも案内も見ずにまず坂の町に入っていき(なにしろ船が満員で、ぼやっとしているとその混雑から脱出できない予感がして、アート鑑賞目当ての人の多くがその狭い村に突入したのだ。まるでノルマンディー上陸作戦のように)、混みそうなイタリアンとカフェをスルーしたところにあった「島の野菜を使ったお店」に入った。

ここがあまり良くなかった。料理はありきたりな、でも美味しいオーガニック系和風プレートと玄米ごはんといったランチ。でも店主もスタッフも対応が雑で、厨房のどたばたがぜんぶ聞こえてくる。おまけにいちいち「ポリフェノールが云々」とか能書きが目に入る。環境は良いが情報が邪魔。梅エキスを煮詰めたものがレモンの数十倍の有機酸を含むなんて、当たり前じゃないか。それからロハス的な、田舎移住組的な言葉も気になる。「倉庫を店舗に“循環”させた」なんてわざわざ書いている。それは一般的には改築と言う。ロハスな人達は言葉を大事にしない、と常々思っていたが、今日はその認識を強めることになった。

 
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そして夕食。

高松の街はきれいで楽しい。ことでん、という電車は可愛いし、商店街は広い。が、瀬戸内国際芸術祭の本に載っているようなお店は、日曜日には休んでしまう。広くて長くて有名な商店街も、日が暮れると「半シャッター通り」と化す。今回は宿が中心から少しはずれていたこともあり、夕食をどこで食べるのかで迷うことになった。

宿の隣にある栗林公園(日本庭園に興味は無いが、それでもここは凄いと思う。びっくりした)を散策したあと、レンタルサイクルで街をぐるぐる回る。途中でジェラートを食べて、お土産を選んで、スーパーマーケットでも買い物をした。合間にずっと、「ひとりで入れる郷土料理のお店」を探していた。が、見つからない。

結局、目に入った「瀬戸内料理」の看板を掲げる和食店で「瀬戸内定食」と刺身盛り合わせを食べた。定食のメインは小さな鯛の煮魚。美味しいがご馳走っぽさに欠ける。刺身はマグロと甘エビが主軸で、瀬戸内らしさが薄い。ほかの小鉢なども、特に瀬戸内とは関係なさそうだ。そして、ご飯はとても軟らかい。

全体に甘い味付けなのは、四国だからか。食べながら気づいたが、仕出しや法事や宴会の店で、個人客に力は入れていない感じだった。

なんだか食べたりない感じがして(ご飯は残してしまった。少な目にしてもらったのにどうしても食べきれなかったのだ)、宿に戻る途中でうどんを食べた。食べ過ぎで、かなり苦しい。

ここからが今日の失敗。


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宿についてから、野菜不足対策に買った「野菜生活」を飲んでいたら、おなかがいっぱいで動けなくなってしまった。少しでも動くと気持ちが悪くなる。ベッドや机の上はちらかったまま、できるだけ楽な姿勢を保ちながら30分ほど過ごすことになった。胃薬を飲むだけの余裕が胃に残っていない感じ。

ようやくお風呂に入れるくらいは回復した。今は苦しいが、それは一般的な、予想と制御ができる満腹感である。紅茶を淹れたが、たぶん飲む“余裕”は無い。

もう少し落ち着いたら、今日はもう寝ることにする。明日は本当に早起きして、まず豊島を目指す。だから、もう寝ます。

それにしても楽しかった。天気も良かった。旅先で知り合った人達もみんな良い人達ばかり。昨日に引き続き、来て良かったと思う人生初の四国旅行である。

 

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

 
怪談えほん (7) おんなのしろいあし (怪談えほん7)
 

 

 

旅をしている

 


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今日から明後日までは、瀬戸内国際芸術祭に参加(?)している。今夜は丸亀市の駅前に宿泊。

静かな街だ。なんとなく四日市市の駅前に似ている。古くて立派なアーケードがそう思わせるのだろう。


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午前中はまず観音寺という街を散策した。目的は「餡入りの餅が入ったうどん」のお店と、和菓子屋さん。うどん店のほうは祭のために閉店中だった。残念だが、そのお祭りがおもしろかったので良しとする。

その祭見物の際に偶然入ったうどん店が、これがもう讃岐うどんらしさ溢れるお店だった。店員さんたちの言葉がまるでわからないが、でも注文したものが素早く提供される。味も良かった。

和菓子店でお菓子を1箱、それに喫茶部でケーキを。写真は忘れた。ここも本当にすてきな場所。


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午後からは丸亀市の港を経て本島へ。島ではレンタルサイクルで周遊と作品鑑賞をする。作品に関しては後日書くだろう。静かな海と港、いつもとはちょっと違う草花。ああまた瀬戸内に来たのだなあと実感する。


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実感といえば、作品をあらかた見終えて、自転車も返却してからの時間が、実に「旅」っぽかった。タイミングが悪く、1時間ほど船を待つことになって、でも港の周辺には気の利いた店などなくて、散歩や荷物整理をするだけの時間ができてしまった。ぶらぶら歩いていたら、島の老婆がイチジクを売ってくれた。7個で200円くらい。熟れすぎの実も混ざっていたが、安くておいしいイチジクだった。それを食べながら缶コーヒーを飲んでいた時に、なんだか旅っぽいなと思ったのだ。村上春樹のエッセイにありそうな状況。夕焼けと港と、イチジクと美味しくないコーヒー。


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夕食は丸亀駅前の「骨付き鶏」の店、一鶴で鶏肉を。ひねどりとわかどりを選べる。僕は両方注文してしまった。とても美味しい、でも満腹。


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来て良かった、と思えることばかり。駅に繋がっているスーパーマーケットで買い物をして、先ほどお風呂をすませて、もう後は寝るだけ。昨日は静岡で働いていた、と考えると不思議な気分。ではおやすみなさい。

 

瀬戸内国際芸術祭2016公式ガイドブック

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Discover Japan(ディスカバージャパン) 2016年 08 月号

Discover Japan(ディスカバージャパン) 2016年 08 月号

 

 

すごく簡単な作業なんだけど

夕方、同僚から連絡があった。
「すごく簡単な作業なんだけど、やってくれるかな」みたいなメッセージがLINEで届く。経験上、こういう書き方で始まり、まともな終末に至った例が無いのだが、でも話は当然、聞いてみる。

要は「パソコンを使うと簡単だが、手作業では面倒極まりない作業」をお願いされたのだ。イベントでの一覧表とか三角くじとかライブのチケット制作とか、その種のデジタル作業と印刷関係。

確かに簡単な作業。僕ならばillustratorで10分の作業に印刷時間を少し加えて終了するだろう。
でも残念ながら、急に言われても、対応できない。今はまだ仕事中で、明日からは旅行に行く、と伝えて断ることに。タイミングが悪い。

 

この種の作業は、基本的に受けることにはしている。喜んでもらえれば嬉しいし、得意不得意をお互いに補い合って楽しく暮らすのはひとつの理想だと思うので。

でも無理な時は無理。
だからいくつかの提案、代案をする。
自宅にパソコンやプリンタが無いというから(Microsoft Officeが使えない状況)、ではスマホのアプリで無料のもの、例えばGoogleスプレッドシートでデータを作り、コンビニの印刷サービス(コピー機に送信するタイプ)でプリントアウトすればいい、等々。しかしそれは難しくてできない、という。
考えてみたら、欲しているものは、既製品が百円ショップにあった。ということは事務用品店やロフトや東急ハンズにはもっと種類や量があるはずで、数百円の出費で解決するのではないか。我ながら良いアイデアだと考え伝えてみたところ、「お金がかかるじゃん」と却下。

この「お金がかかるじゃん」で、いきなり親切心が失せた。
僕はもちろん、お金が欲しかったわけではない。そもそもお金を貰えるレベルの作業ではない。でも、だからといって「無料」という理由で“受注”はできない。この辺りの気分は以前も説明した筈だが、まるでわかってもらっていなかった。
大げさに書くと、言葉に傷ついた。言葉を選ばなかったことに傷ついた、というほうが正確か。

僕はよくイラスト制作などを「仕様は明解に。納期無し。催促無し。責任はとりません。費用は実費、消耗品の分だけ。嫌になったら投げ出します。それでもいいなら」という条件で請け負う。もちろん親しい間柄に限るし、ほとんどの人はこの説明で、どういうスタンスなのかわかってくれる。だから気持ち良く技術を使うことができる。
わかってくれない人には、もっと具体的で、いくぶんギスギスした言葉を用いても、絶対に伝わらない。不思議といえば不思議、でもなんとなく「無料の紙ナプキンなら束で取って雑に使ってもいいじゃん」と考える人達に似ているのかな、とは思う。
損得ではなくて善悪の話、なのかもしれない。

 

でも同僚は同僚であり、そもそも悪い人ではない。
だからアドバイスはする。
「駅前にはデータ作成や出力サービスを行う店がある。個人でも注文できる。そこにアイデア・メモを持っていき、相談すれば数日で出来上がるだろう」と教える。
返答は「そこまでする気は無い。半日かかるが、手書きとハサミで頑張る」。
悪い人ではないが、残念ではある。「頑張る」の代用か。もっと効率化や高品質を求められていたのかと思ったのに。

しかしこれ以上書くと悪口になってしまうが、でも(やっぱり)書いてしまうが、この種の「親切の非対称」に無頓着な人達は同時に、好き嫌いによる作業の選り好みがことさら大きい。今回の件でいえば、スマホでデータを作ってローソンやセブンイレブンに送信する一連のやりとりを試して学ぶほうが、徹夜の手作業よりも楽なはずだ。僕がぱぱっと作業するのが最も楽だとしても、それはそれとして。
ただやりたくないから「できない」と言う。もちろん、本を買って調べろ、といっても「自分には無理」となる。
ゴキブリに触れることができる、という事実を認めながら、ゴキブリを怖がればいいのだ。


簡単な作業だから、ではなくて、自分は苦手でやりたくないけれどお金と時間を節約したい、と最初から伝えてくれれば良かったのに。僕は簡単な作業なので請け負うわけではなくて、役に立ちたいから親切にするのだ。代案だって、もっと良いものが考えられたかもしれない。勝負事ではないのだから、カードはまず開示するのが誠意だと思うし、ものには言い方がある。

 

 

 

まるで関係無いが、先ほどTVのバラエティー番組で、「指紋は個人を特定できるので、犯罪捜査で活用されている」という“事実”に対し、「ええーっ」と声がかぶさり、ゲストのタレントさん達は口に手を当てて驚いていた。僕はその驚きに対して「ええーっ」と思うのだが、もしかして少数派だろうか。 

夜行

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ぐるぐる問答: 森見登美彦氏対談集

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